第8回インタビュー 坂本冬美「男惚れ」「船に帰るあなた」

――おはようございます。今日は前回に引き続きまして坂本冬美さんの続編ということで、色々とお伺いいたします。猪俣公章さんが坂本冬美さんにおくった64曲余りの作品のうち、その約半分にあたる31曲を京さんが編曲されたということを前回お聞きして大変驚きました。
そして「あばれ太鼓」「能登はいらんかいね」「火の国の女」の3大演歌のシングル盤についてお聞きしましたので、今日はそれ以降発売されたシングル盤に焦点を合わせたいと思います。どうぞ宜しくお願いします。

 こちらこそどうぞ宜しく。

猪俣先生とのエピソード

――冒頭の繰り返しになりますが、猪俣公章さんは、坂本冬美さんのために作曲した64曲のうちの31曲の編曲を京さんに依頼されました。約半分の曲を猪俣公章さんが京さんにアレンジの依頼をしたという、まずそのあたりのことをお聞かせ願えますか?

 まあ、結果そうなったということで、今まで真剣に考えたことはありません(笑)。
でも猪俣先生と仕事でお付き合いしたことは、考えてみると「あばれ太鼓」より以前にはほとんどなかったと思います。賞のパーティーでは何度かお会いして、話を交わすことはありましたが。「あばれ太鼓」のときに声をかけていただいた、それが仕事としては最初だったかと思います。

――京さんは京都のジャズ界の出身ですし、猪俣公章さんは日大芸術学部で古賀政男さんのお弟子さん、そんなお二人が「歌謡曲」という、音楽の限られたジャンルの中でどんな共通点があって、お仕事の縁ができたのでしょうか?

 猪俣先生は、皆さんご存知の通り、森進一さんの「女のためいき」「港町ブルース」「おふくろさん」や、水原弘さんの「君こそわが命」など、作曲家としてデビューしてから立て続けにビッグ・ヒット曲を飛ばされました。藤圭子さんの「女のブルース」、クールファイブの「噂の女」などそれまでなかったような独創的な曲ですね。五木ひろしさんの「千曲川」「ふたりの旅路」「愛の始発」など、五木さんにとってかけがいのない曲もお書きになってる。

――デビューした1966年から1976年の10年間にわたってのことですから凄いですね。そして10年後の1987年に、坂本冬美さんの「あばれ太鼓」が大ヒットすることになるわけですね?

 猪俣先生は編曲の打ち合わせで、私がアイディアを出すでしょ、そうするとご自身の頭の中で反芻して音にすることができる方でした。例えば私が「ここはフラット・ファイブでいきたいと思うんです」、って言うと、側に楽器がなくても先生の頭の中で確認して、「京ちゃん、それでいこう」と言ってくださるんです。そんな調子で、先生の反応がいつも早くて、私としてはとても仕事がやり易かった。

――それは凄いですね。作曲家の方って、皆さん頭の中で音を確認することができるんですか?

 いや、そうでない方も勿論いらっしゃいます。演歌だけで育った方もいらっしゃいますから。音楽理論で話を進めようとすると怒る先生も実際いらした(笑)。でも、それはそれで作曲家のもち味ですから、みんな違っていて良いんです。

――それで、猪俣さんは新譜のオケの録音のときに立ち会わなくても、テンポだけ電話のむこうでチェックされて、後は全部OKだったんですね?

 おまかせでやらせていただきました(笑)。恐らく打ち合わせだけで、猪俣先生の頭の中にはオケの音が確認できていたんだと思います。

――それで録音の立ち会いなど必要がなかったんですね?

 猪俣さんは1938年のお生まれで、私よりひとつ下なんです。

――京さんは1937年でしたね?

 そのせいか、いつも気がねなく話ができ、仕事ができました。

――兄弟とか、仲間とか、そういう感じでしょうか?

 そうですね、それと先生は紳士でした、それと誠実でいらした。それで私としては本音の会話ができたんだと思います。

――猪俣先生は編曲家としての京さんを買っていらして、自分に近い存在として考えていらしたので、スムーズにお仕事を進めることができたのでしょうね?

 実は猪俣先生、坂本冬美さんがデビューする前(1986年)に新しい編曲者というか、今まで使ったことのない編曲者を捜していらした。それで周りから私の情報をどうも仕入れていたようなんですよ(笑)。

――情報をですか?

 まあ、この業界は狭いですし、京建輔はどんな歌手の、どんな作品を手がけてきたか、編曲をしてきたかを周りの人から聞いただけで、あいつはどういったタイプの編曲をするかってのは猪俣先生のことですからすぐ解りますよね。

――それで猪俣先生どうされたんですか?

 ご自宅に何度か呼ばれまして、遊びに来いと言う感じでしょうか。本当は事情聴取だったかもしれませんが(笑)。

――その結果「あばれ太鼓」で声をかけてこられたわけですね?

 面接試験に受かったということですかねー(笑)。

――もっとも1986年というと、京さんが編曲した吉幾三さんの「雪國」がその年の春に発売されて、爆発的な勢いでヒットし始めた頃ですね?

 そうだったですねー。そのあたりも情報のひとつとしてあったかもしれません。

――五木ひろしさんの一連の作品(「おまえとふたり」「倖せさがして」)や、竜鉄也さんの「奥飛騨慕情」などの編曲者だけでも判断はつくと思いますが?

 聞けばわかりますよね。まあド演歌の編曲者でないところを買って下さったのかもしれません(笑)。

――デビュー・シングル用に、色々な種類の曲を録音して、その中から一曲を選んだということを前回お聞きしました。それが京さんの編曲した「あばれ太鼓」だったわけで、沢山の中から一曲選んでシングル盤にするという、猪俣公章さんの作戦が的中したわけですね?

 それは、たまたま私の編曲したものが条件に叶っただけのことですよ。「あばれ太鼓」という曲が良かったので、編曲がうまくいったということですかね(笑)。

――卵と鶏のどちらが先かの話ですね?

 まあ、スタートが良く走れたので、引き続いて編曲の依頼をいただくことができた。

――矢継ぎ早に「能登はいらんかいね」がヒットしましたが?

 ただ第3作目はご存知の通り「祝い酒」で、それをアレンジしたのは私じゃなくて小杉仁三さんです。私にはあんなガッシリしたものは、とてもできません。

――編曲者もそれぞれの持ち味があるということですか?

 ですから、編曲したものがヒットするかしないかは、本当に不思議なんです。人間以外の力が働いているとしか思えない時があります。運のようなものかも(笑)。

――それは京さんのように沢山ヒット曲を経験された方ならではの感想かと思いますが。
さて、31曲の編曲というと、猪俣公章さんと少なくとも31回は打ち合わせがあったわけですね?

 おおざっぱですが、2週間に1度、猪俣先生のご自宅にお邪魔してたように思います。

――2週間に1度?

 ええ、そのころはお弟子さんで作詞家の里村龍一さんや、作曲家の岡千秋さんなども遊びに来られてたので、よくご一緒しました。

――里村龍一さんは坂本冬美さんの「あじさい酒場」や「海峡の詩」などを作詞されてますね。

 「人生将棋」などもそうだったかな。

――偉い先生のところには色々な方が集まって来られるんですね?

 そう、色んな人が来て色んな話をするんです。馬鹿っ話のような話の中から素晴らしいアイディアが生まれることも実際あるんですよ(笑)。

――人が集まるとそれぞれ違った情報が集まるので、新しいアイディアが湧いてくるんですね?

 猪俣先生から依頼された新曲はみんな性格の違う赤ん坊みたいなものですから、その度に打ち合わせする必要がありました。

――性格の違う赤ん坊をどうお披露目しようかと?

 そう、皆に好かれて可愛がってもらえるようにと考えるんです(笑)。猪俣先生のお宅にお邪魔する回数が自然と多くなりました。

――どれひとつ取っても似た曲ってないですね?

 ただ回数は多かったけれど、いつも短時間で済みましたので楽しい打ち合わせでした。

――長時間になることは?

 たまにはありました。でもそれは、打ち合わせじゃなくて、お茶合わせ、いやお酒(ちゃけ)合わせだったのかもしれません(笑)。
ただ猪俣先生はご存知の通り、お酒大好き人間ですから、なるべく車で出かけていって「今日は車なんで飲めません」って言ってました(笑)。

男惚れ

――それでは「男惚れ」についてお伺いします。
あらためてこの曲をCDで聞いてみたいと思います………。(曲を聴く)

 わー、シンプルだなー。今こういうのは、なかなか書けないなー…。こういうシンプルなアレンジをするとレコード会社のディレクターさんに怒られちゃう。「もっとド派手にしてください」とね。

――シンプル・イズ・ベストじゃないんですか?

 そう、歌前のイントロからワーっと盛り上がるような編曲を要求されます(笑)。

――派手だと歌手の歌が目立たなくなってしまいませんか?

 そうですね。時代の流れなんでしょうか、今はそういう傾向にあるということでしょう。

――「男惚れ」は1992(平成4)年4月22日の発売です(TODT-2820)。
その年のオリジナル・コンフィデンスではベスト16位(週)まで駆け上った実績があります。その年の売上げは8ヶ月程で17万枚ですから、当時低迷していた演歌部門の曲としては大ヒットでしょうね?

 なにか賞をいただいた覚えがあります。

――第34回のレコード大賞で、アルバム大賞を受賞してます。前年に「火の国の女」で最優秀歌唱賞を受けてますから、二年連続の受賞ですね。第23回日本歌謡大賞では放送音楽プロデューサー連盟賞もとってます。ですから日本歌謡大賞ではデビューから4年連続の受賞、順にいいますと「あばれ太鼓」「能登はいらんかいね」「火の国の女」「男惚れ」ということになりますね?

 編曲した者にはあまり関係のない賞です(笑)…、そうでもないかー。

――レコード大賞のアルバム大賞というと、1992年に出たアルバムが対象ですね?

 たしか「男惚れ」が一曲目に入っているアルバム(6月24日発売 TOCT-6787)だった。

――京さんのアレンジの「あんちきしょう」や「雪舞い津軽」「ひとり寝女の泣き枕」なども収録されてます。こういった曲はアルバム用として録音されたのですか?

 そうです、というより、ハナからシングル盤の対称にならなかった曲といったほうが解り易いかも(笑)。
でも誤解しないでほしいんですが、曲が悪いとか、編曲が悪いとかということではないんですよ。

――悪くない?

 シングル盤の器量がない曲ってのはあるんです、いやむしろそのほうがい多い。ちょうど映画でも脇役がいるから主役が映えるのと同じで、シングル盤ばかりではアルバムはできないでしょう。

――シングル・ヒットのみで構成されたアルバムっていうのはありますが?

 それは何十年も活動した実績があるビッグ歌手のものですね?でも、そういうアルバムを一度出してしまうと、それで終わりですからね。

――そういえばそうですね?

 アルバム用の曲の必要性っていうのはあるんですよ。シングル盤になる主役の曲が一曲あって、その周りを脇役的な曲でアルバムを支える。

――その時の歌手の実力・技量、それに色々な曲に挑戦したという歌手の足跡が分かりますね?

 そう、そういう意味でもとても貴重なんです。次のヒット曲のシグナル的な役割も持っているし、色々と実験もできるんです。上演を目の前にした舞台の構想も浮かぶし。

――ちなみにこのアルバムに京さん以外の編曲者の方は?

 先ほど名前の出た「祝い酒」の小杉仁三さんや、馬場良さんや、前田俊明さん、錚々たるメンバーです。この頃はまだ編曲家の仕事量が多かったので、バラエティーある編曲で飾られたアルバムになってますね。

――歌のジャンルとは違いますが、昔の噺家は一晩で数軒の演芸場を次から次ぎとこなしていたので、志ん生や文楽や圓生といった名人が出たんだという話を聞いたことがありますが、それと似てますね?

 そう、そういう意味では今の若い編曲家さんは可哀想です、仕事量が昔ほどないですから。

――少ないと実験的なこともできないし、引き出しもなかなか増えないでしょうね?

 ただ量的なものとの関連はわかりませんが、シンプルな詞にシンプルな曲が付いて、それにシンプルな編曲が重なるとビッグ・ヒットにつながると思います。これは音楽に限らず芸術の世界を見渡せば歴史が証明していると思うんですね。

――難しいものには、一般の人は見向きもしない、という厳しい現実がありますね?
さて、こちらは皆が見向いてくれたという「男惚れ」ですが、これは大阪が舞台のようですね?

 星野哲郎さんが冬美さんのために珍しく作詞されてます。

――星野哲郎さん(1925~2010)が大阪を舞台にしたもの、これも珍しいのでは?

 そうかもしれません。星野先生はご存知のように、水前寺清子さんの「涙を抱いた渡り鳥」「三百六十五歩のマーチ」や北島三郎さんの「兄弟仁義」「風雪流れ旅」など名曲をほんとに沢山お作りになっていますが、大阪を舞台にしたというのはあまり聞かないですね。

――渥美清さんの「男はつらいよ」が私は好きで、この曲が星野哲郎さんの作詞だということを最近知ったんですが、星野哲郎さんは北島三郎さんの曲を沢山書かれていらっしゃいますね?

 北島三郎さんの『全国の女シリーズ』というのがあるんです。これは星野哲郎さん(詞)が島津伸男さん(曲)のコンビで大ヒット曲「函館の女(ひと)」をはじめとして「尾道、博多、薩摩、伊予、伊勢、、加賀、伊豆、沖縄、木曾、みちのく、横浜」など10曲以上もお作りになっていらっしゃるんですが、「大阪の女」は不思議とないんです。

――今おっしゃったのは全部タイトルが「○○の女(ひと)」となってるんですか?

 そうです。よくこんなに沢山お作りになったと思う(笑)。

――こういうのをご当地ソングというのでしょうね?

 そうですね。「函館の女」なんて最たるものでしょう。

――行ったことがなく、知らない土地だと歌の主人公の女性に会いにいってみたくなりますね?

 ロマンを掻き立てられますね。

――「大阪の女」はザ・ピーナッツの歌にありましたが?

 そう、橋本淳作詞・中村泰士作曲の曲でしたか(笑)。

――「男惚れ」の詞のシチェーションですが、主人公の女性が二人の男性のうちの一人を好きなのに、二人が仲が良くてその中に入れてもらえず、ヤキモチを焼いているということでしょうか?

 そうともとれますが、一般的な「男気」を賛美して、女性にはそういう世界とは縁がないため、遠くから羨むという風にもとれますね(笑)。

――詞に登場する大阪の地名は淀川(1番)、淀屋橋(2番)、堂島(3番)と、どちらかといえば北が舞台のようですね?

 そう、大阪は地理的に北と南で分けて考えることが多いんです。

――南はどちらかというと庶民的で、北は比較的ハイセンスのイメージがありますが?

 そういうことからなんでしょうか、曲自体が泥臭いところがあまりない、むしろすっきりとした感じに猪俣先生、作曲されてますね。

――定番といったら語弊があるかもしれませんが、マンドリンとアコーディオンの登場で、いかにも大阪らしい味付けの編曲になってると思いますが?

 定番はとっても大切なんです(笑)。聞く人がすんなりと大阪の世界に入れますから、それを利用しないっていう法はないんです。演歌の編曲では先人のものを踏襲する意味は大きいんですよ(笑)。

――単に真似をするということとは違うんですね。
ところでドラム、ガットギター、アコーディオン(ミュゼット)、マンドリンはいつものメンバーの方々の演奏ですか?

 そうです。チコ菊池さん、木村好夫さん、風間文彦さん、宇都宮積善さん。いつものメンバーによるセット・メニューです。こちらも定番ですね(笑)。

――それとこの曲には不思議な音色の楽器が、ヴァイオリンのような、でないような?

 ああ、これはコルネット・ヴァイオリンですね、玉野嘉久さんの。そう、玉野グループの弦もセット・メニューに入れなくては(笑)。

――ほんとに不思議な音色ですが、うらぶれた深い味の、演歌にぴったりの楽器ですね?

 19世紀のヨーロッパで吹き込み録音用に開発されたヴァイオリンにラッパが付いているという珍しい楽器なんです。玉野さん、上手に演奏されていますが、とっても弾くのが難しいそうです。

――1番から2番の間奏では、このコルネット・ヴァイオリンをバックに坂本冬美さんの台詞が出てきますが、関西弁がお上手ですね。関東の出身の歌手ではできないと思いますが?

 冬美さんの台詞については多くの方から同じ感想を聞くんですが、本当は関西弁という方言は無いんです。大阪の歌ですから大阪弁で台詞を喋るのが相応しいでしょう。私は京都出身なので判るんですが、冬美さんの台詞はお上手ですが、大阪というより、大阪風・和歌山弁です。

――大阪風・和歌山弁?

 ええ、ご本人もそう言っておられます(笑)。

――私にはその辺の違いはわかりませんが?

 うちのカミさんも京都なんです。この曲が好きでよくカラオケを歌いますが、台詞のところは京都弁でやってます(笑)。

――この間、森繁久彌さんの1977年頃の「日曜名作座」、加藤道子さんと一緒に50年間演られたというラジオ・ドラマを聞いたら、森繁さんの大阪弁の上手なのにはびっくり。でも調べたら森繁さん、大阪出身だった。

 そうですよ。大阪のど真ん中の堂島(尋常)小学校に通ってたと思います(笑)。
大阪弁は本当に難しい。もっとも大阪弁、厳密には三つあったということを聞いたことがあります。

――三つもですか?

 昔の話かもしれませんが、船場と河内と泉州ではきっと違っていたんでしょうね。

――そうですか?

 都はるみさんと岡千秋さんの「浪花恋しぐれ」、今や大阪の代表みたいな曲ですが、この曲の録音の時、これは都はるみさんから直に聞いた話ですが、台詞の録音に時間がかかって、とても大変だったそうです。はるみさんは京都出身、岡さんは岡山出身、でも一時大阪で歌手の勉強をされてたそうですから大阪生活の経験者、それでもとても難しかったそうです。

――「狭い日本、されど広い日本」、そういうことを感じますね(笑)?

 結局録音は試行錯誤の結果、広義の大阪弁でまとめたという話です。

――ということは《これぞ大阪弁》というものが今はないってことですか?

 そう、だから冬美さんの台詞は和歌山風・大阪弁ということで、間違いなく合格点がもらえますよ(笑)。

船で帰るあなた

――それではこの辺で「船に帰るあなた」にまいりたいと思います。
1994年2月2日の発売(TOST-3185)で、資料ではオリジナル・コンフィデンスの週の最高位が29位です。池田充男さんの作詞ですね?

 この曲には思いで深いものがあるんですよ。実は私、この曲を2度編曲しているんですよ。

――2度ですか?

 そうです。2度目に書いたのがこのシングル盤になりました。

――ということは、1度目の録音はいつだったんですか?

 1991年5月31日です。

――2度目のシングル盤の録音は?

 1993年10月25日ですね。

――ということは2年と半年後に録音されたということですね?

 そうですね。

――1度目の録音の音源はCDになったんですか?

 ええ勿論出ました。でもしばらくお蔵になってて、猪俣先生がお亡くなりになった(1993年6月)後、急遽企画された「猪俣公章メモリアル・ベスト」(TOCT-8152)アルバム(1993年9月29日発売)の一番最後(16曲目)に入りました。

――ということは、1度目に編曲されたものが、2度目に編曲されたものより先に、つまり、順番通りにCDになったということですね?

 そうです。

――シングル盤の「船で帰るあなた」とアルバムに入っている「船で帰るあなた」との違いは?

 一番大きいのはキーが違うということでしょうか。

――どちらのキーが高いんですか?

 シングル盤のほうが半音高くてCマイナーです。
実はこれには理由がありましてね。当然2度目の録音ですから、一度目の録音と違った冬美さんの魅力を引き出そうとするわけです。シングル盤ということもありますから、色々な観点からファンの方々に喜んでもらえるようにと考えますから。

――半音高くした狙いはどんなところに?

 サビのところに、一番だと、「♪~今度いつの日 ここで逢えるの さよなら さよなら 鴎はひとりぼっちよ」という歌詞です。この最初の「さよなら」の「よ」の音がDの音で冬美さんにとってはほとんど最高音になります。この時、どうしても瞬間的に声を絞って、ちょっと苦しげに声を出すことになるんです。その時の冬美さんの声がとってもセクシーで、魅力的なんですよ。それでその声を引き出すために、Cマイナーのキーを設定したということになります(笑)。

――凄いですね。高い極限の音域の声の魅力っていうのがあって、その魅力を歌のサビの所に作るためにキーを設定したということですね。坂本冬美さんのファンならずとも、たまらなく魅力的な箇所ということになりますね?

 それとテンポを72にして、シングル盤向きといいますか、アルバムのほうは70ですから、やや早めにしてます。

――その外には?

 聴き比べればすぐお分かりになると思いますが、オーケストラの楽器の編成は勿論違います。これは、シングル盤の前奏や間奏の主旋律を変えてますので、必然的に楽器の編成も変わりました。

――イントロと間奏がシングル盤とアルバムでは違うなんて、早く聞き比べてみたいところですが、どんな楽器編成でしょうか?

 アルバムのほうはミュゼット・アコーディオンとガットギターが主だったところです。それに対してシングル盤のほうは電気アコーディオン、マンドリン、パンフルート、ガットギターそして弦です。女声コーラスはどちらも一緒です。

――歌中は一緒ですか?

 勿論変えてます。全面改定と考えていただいたほうが話が早いですね(笑)。

――では早速シングル盤の「船で帰るあなた」とアルバムの「船で帰るあなた」を聞いてみましょう……。(両曲聞く)
印象を言って宜しいでしょうか?
アルバムのほうはしっとりした感じが良く出てたのに対して、シングル盤のほうは劇的な感じがします。同じ別れでも、別れ方が違うんですね?

 それぞれの良さが比較すると解りますね。冬美さんの声も随分と違う。後の録音のほうは成熟した大人の声になってますね。それとアルバムのほうは猪俣先生の追悼盤だという先入観があるせいか、冬美さんが猪俣先生にお別れしている、そんな風にも聞こえますね。

――アルバムの最後の曲として収録した理由が、そのあたりにあるのかもしれませんね?

 ジャケットの中の「船で帰るあなた」の歌詞の隣のページ、最後のページですね、そこに冬美さんのお別れの言葉が筆文字で書いてあるんですよ。

――どういう風に?

 「先生 ありがとう」って。

――何かジーンときますね。

 内弟子から先生への別れの言葉で、これ以上のものはない、これで充分という感じがしますね。

――シングル盤は豪華な音作りで、坂本冬美さんのサビの「さよなら」の後の語りの「さよなら」が生きていますね?

 アルバムの語りの「さよなら」と味わいが違いますね。大人の風格が感じられます。2年半の時の流れが、坂本冬美さんに成長というご褒美を与えたということでしょうか。

――シングル盤に登場のパンフルートですが、珍しい楽器ですね。良くお使いになるんですか?

 パンフルートはめったに使わなかった楽器なんですが、ここでは存在感が良く出てますね。ガット・ギターも木村好夫さんが木村節を聞かせてくれてますし、電気アコーディオンの後を追いかける弦も切なくむせび泣くようで、これぞシングル盤といった感じがするでしょう(笑)。

――パンフルートはザンフィルで有名になった楽器でしたね?

 私は昔からザンフィルが好きで、パンフルートを使った編曲を一度してみたかったんです。ただスタジオで使える良いパンフルート奏者がいなかったことと、パンフルートを使うに相応しい曲がなかったんです。でもここでチャンスが巡ってきまして…。

――良いパンフルート奏者が見つかったんですか?

 藤山明さんという上手な方を見つけてお願いしました。結果、イメージ通りだったので嬉しかったのを憶えてます。

――そしてパンフルートを編成に入れるに相応しい曲「船で帰るあなた」が二度目の編曲の対象として現れた?

 前回とは違う編曲を注文されましたので、結構それはそれで大変だったんですよ(笑)。

――完結を目指して編曲をした後に、「同じ曲だが別の編曲をしろ、それも前とは違ってシングル盤用にだ」という依頼ですから、苦労されたでしょうね?

 これ以上のものは出来ませんと言えないのが辛い商売でして(笑)、でも色々とアイディアを考えて、工夫することによって出来るんですから、逆にこんな良い商売もないと…。

――思われますか(笑)。先程からお聞きしようと思ってましたが、猪俣公章さんがお亡くなりになった4ヶ月後にこのシングル盤を録音されてます。この曲をシングル盤にしようと京さんに編曲を依頼されたのは猪俣公章さんご本人ですか?

 いいえ、先生から生前に依頼はされてません。東芝EMIからの注文だったと思います。ただ、猪俣先生はこの曲に強い思い入れがあったようで、チャンスがあったらシングル盤にしようと、よく仰っておられました。そんな先生の意向を東芝EMIのディレクターさんもご存知だったのかと思います。

――京さんが編曲を手がけられた猪俣公章さんの曲を見渡しますと、「あばれ太鼓」は福岡県の小倉ですね?

 「能登はいらんかいね」は石川、「火の国の女」は熊本、「男惚れ」は大阪ですね

――どれも全国の有名な都市を舞台にしています。この「船で帰るあなた」の舞台は港ですが、どこか特定した場所の港でしょうか?

 いいえ、この曲は日本のどこにもあるような港を想定して、そこで繰り広げられる男女の愛と別れがテーマかと思います。

――ということは全国を視野に入れたということですか?

 そう、特定の場所ではなく、海に囲まれた日本には港が多いですから、誰もが想像し易い港を通して、すんなり曲の中に飛び込めるような歌を、猪俣先生、狙ったのではないかと思います。

――昔の日本民謡やお座敷歌というのは港から港へと移動する船乗りさんによって広まったという説がありますが、港を舞台にして、それを目指したということでしょうか?

 そこまでの意図があったかどうかはわかりません。「港町ブルース」とも違いますし。ただこの曲、「船で帰るあなた」は猪俣先生の残された最後のシングル盤です。2度も編曲した曲であるという、私にとっては思い出深い曲でもあります。この曲を通して猪俣先生を思いだす度に、尊敬の念を抱かずにはいられないんです………。

――では時間もまいりました。残念ですが今日はこの辺でお開きということにしたいと思います。
次回は番外編ということで趣向を変え、今までお聞きできなかったビッグ・ヒット曲を歌手別に取り上げたく思います。
それでは本日はお忙しいところ有難うござました。

 こちらこそ有難うございました。

第9回インタビュー

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