第6回インタビュー 吉幾三「海峡」「酔歌」

――前回は「雪國」をメインにお聞きしてまいりましたが、京さんは「雪國」以降、吉幾三さんの作品(シングル&LP盤)を数多く手がけてこられましたので、今日はその中でもシングル盤を中心に、色々お話をお伺いしたいと思います。宜しくお願い致します。

 こちらこそ宜しく。

――「雪國」の大ヒットの後にリリースされたのが「海峡」です。まず「海峡」からお聞きしたいのですが、「海峡」は「雪國」の翌年に発売【1987(昭和63)年5月5日 7CTS-4005】されました。まずこの曲を聞いて思いました、随分とロマンチックな歌だなーと?

 ロマンチックで、吉さんらしい曲だと思います。吉さんご自身は、ひょっとすると「雪國」よりも「海峡」のほうが好きではないかと思うことがよくあります。メロディーもそうですが、詞がとにかく素晴しい。

――劇的で、男女の愛の激しさ、それも厳冬の海峡を舞台に展開するドラマのような、そんな気がしますね?

 実はこの歌詞には大変な出来事がありました。録音当日、スタジオの現場でそれまでの歌詞を吉さんがそっくり書き換えるというとんでもないドキュメントがあったんですよ。

――全部を書き換える?そんなことってあるんですか?またどうしてそんなことに?出来ましたらその時の状況をお聞かせください?

 そうですか(笑)。それじゃー思い出しながら話します。毎度のことになりますが、私がアレンジをはじめる前、吉さんから歌の入ったデモテープと歌詞をいただきました。タイトルと詞の内容を確認して、どういった曲なのかを頭に入れイメージを膨らませ、それから必要な楽器編成を組み立て、スコアの五線譜の各楽器のパートにオタマジャクシを書き入れました。そしてイメージ通りの編曲が完成しました。録音当日、私のスコアを基にして写譜屋さんが楽器のパート別に譜面をおこしたものを、インペグ屋さんがスタジオ・ミュージシャンにそれぞれ配りました。

――インペグ屋さんていうのは?

 スタジオ・ミュージシャンを手配する、いうなれば人入れ家業的な役割をする会社(個人)のことです。いつ何どき、どこそこのスタジオに来てくださいと連絡をして、必要なミュージシャンを確保するのが仕事です。インスペクターの略ですかね。私はいつも内田音楽事務所というところに長いことお願いをしてきましたので、この時も内田のお父さん(事務所の社長さん)にお願いしました。

――それでいつものようにオケの録音が始まったんですね?

 そうです。テスト録音が始まった。ミキサーの調整などがあって、多少の手直しなどしましたが、私のスコア通りの音が出来上がってきました。

――オケが出来ると、歌入れは後日ということになるんですね?

 そうです。そこまでは順調に仕事が進んでいると思っていました。ところがオケの録音が仕上がってきた時に、突然吉さんの「ちょっと待って」という声がしました。そして突然、何かに憑かれたようにある作業を、ものすごい勢いで始めたんです。

――ひょっとして、それが歌詞の書き換え作業ですか?

 そうなんです。最初私は、自分のアレンジが悪くて、吉さんが右往左往しているのかと思って、とても心配ました。というのも、この曲のアレンジは、「雪國」の姉妹編的味つけを、あえてしたものですから、それがお気に召さなかったのでは、と心配したわけです。ところがそうじゃなかったんですね(笑)。

――オケの音は、アレンジは、気に入ったんですね、吉さんは。

 そう、気に入って下さった。それも極上で(笑)。このアレンジのオケならば、別のタイトルの別の歌詞に書き換えようと、瞬時に吉さんは思われたようです。

――ということは、詞もタイトルも全く変わったということですか?

 そうです。録音したオケの音を聞いて、それに触発されて別の詞のイメージが湧いてきたということだったんですね。勿論、曲(メロディー)はまんまで、変わらずです。

――それは、すごいことですし、珍しいことですね。現場で、それも瞬時に詞を変更できる才能を吉さんは持っていらっしゃるんですね?

 そのとき、私や現場にいた録音スタッフの全員が、吉さんて「ホント・・・天才だ!!」って思いました。しかも、詞が完成した後、即ボーカル入れをするということになりました。それがまた一発でOKになったんです。一発でOKですよ。そんな流れは私にとってほんと一大事件でした。

――条件を変えずに別タイトルで別歌詞に変更することができるということは、吉さんが作家として引き出しを沢山持っていらっしゃるということなんでしょうね?

 それも触発される条件によっては、いくらでも引き出しから出てくるんではないでしょうか。ですから、最初にいただいた詞は家の資料倉庫を捜せば出てくると思いますよ(笑)。

――見てみたいもんですね(笑)。そういうところが、超一流のシンガーソングライターと言われる所以でしょうか?

 先ほど言いましたように、「海峡」を聞いて思われたかもしれませんが、この曲のアレンジは「雪國」の姉妹編といってもいいと思います。

――それは又どうしてですか?

 使っている楽器編成も近いかもしれません。エレキ・ギター、女声コーラス、ティンパニーなど。

――エレキ・ギターはこの時も津村泰三さんですか?

 いいえ、この時は千代正行さんかと思います。ツイン・ギターの音色が違うでしょう。千代さんもオールラウンドのギタリストで、スタジオには無くてはならない存在の方で、お付き合いも長いんです。それと、女声コーラスは、今回も川島和子さん。ほんと、お世話になりました。

――女声とティンパニーが劇的な詞に追い討ちを掛けて、聞き手をロマンチックな世界へと引っ張りますね?

 ティンパニーといえば、この間、街中で知らない曲なんですが、耳をそばだてたら、ティンパニーが6個も鳴っているのでびっくりしたんです。6個の音が半音ずつ変わっていって。勿論生でなくて、シンセの打ち込みの音なんですが(笑)。

――普通はいくつ使うんですか?

 せいぜい使って3つです。クラシックでもそうですがオリジナルポイントがあって、CならCで、そこに他の音とぶつからない音を充てて効果を出すんです。コードがFでもティンパニーはCを維持する。倍音を大いに利用することも大切なんです。

――専門的で難しい話ですが、素人の耳にもティンパニーの劇的な効果というのは理解できます。胸がこう、一瞬キュッとしますね?

 光がピカッとするような効果を狙うのがテクニックで、それを駆使できるのが実は編曲者の特権で醍醐味なんですよ(笑)。しかし実際はレコード(CD)の編曲ではそうは頻繁には使いません。劇伴では多用することが多いんですが。

――ではこの辺で次の「酔歌」にまいりたいと思います。
「酔歌」(TKDL30086)は1990(平成2)年6月25日の発売です。発売後すぐに火がついて、その年だけでも10万枚のヒットになりました。愛飲家がスナックでカラオケを日に何回も歌うので、店の売上げに貢献した名曲、なんて話がありますが、全体的にゆっくり目のテンポで、なにかほのぼのとした曲に聞こえますが?

 そうですね、その印象はおそらくマリンバの音とリズムにあるのではないかなと思います。

――そういえば、マリンバが全編鳴っていますね。それも同じ調子で?

 このマリンバは最初アレンジした時、前半部分にしかなかったんです。ところが、いざ録音が始まると、吉さん、マリンバが気に入ったのか「先生、全編に入れてよ」と言ってこられた。ここでも吉さんならではのアイディアを出してくださった。

――「海峡」といい、吉さんはスタジオでオーケストラのプレイバックを聞くと、すぐに反応してアイディアを出されるんですね?

 そうなんです、でもそう言われても、スコアを直してパート譜を書き直すなんて時間は勿論ない。それで、まず金山さんにマリンバの譜面を口頭で全編指示した後、コードを直す必要が出てきたので、ミュージシャンを全員集めて、ここの小節は何々で、ダルセーニョの何小節目前は何々で、といった調子で、たぶん「酔歌」は103小節程だと思いますが、ここでも、それぞれに口頭で指示したんです。

――どのくらいの時間で?

 まあ5,6分程です。

――へー、そんな短時間で?

 すると吉さんがその様子をじっと見ていて、突如目をまん丸くして「そんなに簡単にできちゃうのかー!!」って叫びました。「俺のことを天才だなんていうけど、そっちのほうがよっぽど天才じゃないの。みんな宇宙人みたいだー」と、大変びっくりされていらっしゃった。これには全員大笑いでしたが、そんなこんなで無事マリンバ全編入りのオケの録音が完成しました(笑)。

――このマリンバはどなたなんですか?

 金山功さんです。「北国の春」のインタビューの時、ジャズ畑の演奏家としてご紹介しました。それもついこの間のことと思っていたんですが、昨秋お亡くなりなったということを今春聞いてびっくりしています。

――全体を聞いて、やっぱりこの曲もエレキ・ギターとガット・ギターの役目が大きいのかなと思いましたが?

 吉さんはやっぱりギターが似合うんですよ。似合うから自然と編曲時に、楽器の編成に入ってくるんです(笑)。

――さて、2番の後に出てくる間奏ですが、主役の楽器はサックスでしょうか、正しくは?

 アルト・サックスです。ちょっとアドリブっぽく吹いていますが、実は私の書き譜なんです。平原まことさんに吹いていただきました。だだ一部、彼のアイディアをいただきまして、最後のところのF#を、もう1オクターブ上げて「決め」としました。オクターブ上のF#は普通この楽器ではやれないんですが、平原さんは自信たっぷりに見事吹き上げた。ほんと彼の技量はすごいんです。余談ですが、この「酔歌」はカラオケでも即取り上げられまして、レコード各社やカラオケ・メーカーが新規録音の際、この高い音は他のサックス奏者では吹けないので、仕方なく平原さんを起用したんです。「おかげで京さん、随分と稼がせていただきましたー」と後で平原さんに会った時、そう言って喜んでました(笑)。

――平原さんの娘さんは、あの平原綾香さん?

 そうですね。親子でジョイント・リサイタルなどやっていらっしゃる。娘(綾香)さんが、まだビッグになる前、音楽観の違いからか、「娘の奴、生意気なこと言うんですよねー」なんて半分嬉しそうに言ったりしてましたが、今やもうねー、二人共ビッグで(笑)。

――ミュージシャンからのアイディアで曲がより生きることって多いんですね?

 服部隆之さんが、フランスの学校から帰ってきてすぐの頃、胡弓のことで質問を受けたんですが、その際に出た話題がこの「酔歌」でした。平原さんのアイディアにびっくりしてまして、ほんとにアルト・サックスで吹いてるのって不思議がってた(笑)。

――そういえば、京さんが京都南座で平成6年に開催のコンサート(京建輔20年の響)でも平原さんが吹いてましたね。

 そうそう、あの時もお世話になった。ジャズの「A列車で行こう」を、都はるみさんの「あんこ椿は恋の花」風にアレンジしたのを演奏してもらった。

――「奥飛騨慕情」をメジャー・コードで演奏したり、ヴィヴァルディの「四季」をド演歌風にアレンジしたりで、お客様に随分と受けてましたね。

 五木ひろしさんにも登場願って、五木さんの持ち歌をアレンジし直して、世界の音楽メドレーと題して歌っていただいた。

――あれは奇抜な企画でしたが、アレンジによってはどれだけ曲が変わるか、よく分かって面白かったです。なにせ「夜空」を中国風に、「おまえとふたり」をロシア風に、「横浜たそがれ」をフランス風、「倖せさがして」と「浪花盃」をブラジル風(ボサノバ調)に、「千曲川」をドイツ風と、多種多様に曲が変わって、とてもグッドなメドレーに仕上がっていたと思います。手の混んだアレンジで、大変だったでしょうね?

 いいえ、書いていて楽しいし、五木さんも自分の持ち歌なので、アレンジに合わせて変幻自在に、ご自身も随分と楽しみながら歌っていらしたと思います(笑)。

――さて話を元に戻しますが、「酔歌」の歌詞に毎回出てくる「ヤーレンソーランヨー」ですが、これは?

 民謡の「ソーラン節」の一節でしょうが、前回の話にも出ましたが、吉さんと民謡の関わりは深いと思います。ご自身が気づいていない節はありますが、お父様が民謡歌手(鎌田稲一さん)ですから、当然幼い頃から影響を受けて育ってこられたはずです。「酔歌」という、いかにも呑み助が主人公のようなタイトルですが、ちゃんと歌詞に父・母が出てきます。恥ずかしがりやの吉さんですから、父母への感謝の気持を「ヤーレンソーランヨー」に託して、吉さんの気持を詞に代弁してもらったのではないでしょうか。

――そういえば、先日(2012年6月19日)NHKの《スタジオパークからこんにちは》に吉さんがゲスト出演されてまして、たまたま見た割りには一生懸命見たんですが、その時おっしゃたことで納得したことは、幼少時代、自宅に何度か高橋竹山さんが泊まりに来たそうですね。

 ああ、それは初耳ですね。

――そういった環境だったのなら、やっぱり民謡から知らず知らずに色んなことを吸収して、大きくなられたのではないかなー、それが作詞・作曲のどこかに滲み出るのでは、と思いました。

 〈門前の小僧習わぬ経を読む〉という諺がありますが(笑)、子供のときに受けた影響というのは大きなことなんでしょうね。

――「酔歌」の前の1988年に「酒よ」という「酔歌」の先輩格にあたる曲がありますが、この曲は京さんのアレンジではないんですね?

 そうなんです、実はオーダーがあったんですよ。ところが、その年はソウルオリンピックが開催する年で、韓国の代表的な曲をカラオケ用に2000曲録音する依頼を、ある大手レコード会社(日本の)からされていました。前年からそのプロジェクトがスタートしていた関係で、スケジュールが合わなくて、せっかくの依頼をお受けできなかったんですよ(笑)。

――それは残念なことでしたね。もしソウルでの仕事がなければ、違った「酒よ」が出来ていたということになるわけですね。それを考えると、とても不思議なことすね。

 とにかく残念なことでしたが、まあ、体が二つあるわけじゃーないんで、しょうがないことです、こればっかりは(笑)。

――さて、吉さんの曲をアレンジしたシングル盤を全部ご紹介しながら、色々お聞きしたいんですが、残念ながら残り時間少々となりましたので、京さんがアレンジした代表的な作品を、時系列でご紹介していきたいと思います。

「民謡(うた)はふるさと」「みちのくブルース」1987年6月
「帰郷」1988年9月
「津軽平野」「あんた」1996年3月
「冬鴎」「奄美で待って」1998年9月
「漢江(ハンガン)」「かあさんへ」2000年6月
「出張物語」共:川中美幸 2000年9月
「夢で抱かれて」2001年4月
「運河」「君が残したもの」2004年5月
「かあさんへ」2007年9月
「やがて世界が歌いだす」「羽根を下さい」2007年11月
「秋風」2010年5月

――以上シングル盤の主たるものですが、これ以外に「薄化粧」「東日流(つがる)」「前略ふるさと様」「OKINAWA~いつまでもこのままで」などLP用の楽曲も多々あります。こちらも紹介したいのですが、時間ですので今日はこの辺で失礼したいと思います。長時間になりました。今日はお忙しいところ本当に有難うございました。

 こちらこそ有難うございました。

第7回インタビュー

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