第1回インタビュー 「快傑ズバット」「科学戦隊ダイナマン」

――今日は京建輔さんに、インタビュー・シリーズの第1回目として、子供向けTV番組(アニメ・特撮)の作曲とその編曲をされた頃のお話を、色々とお伺いしたと思います。
特に「快傑ズバット」と「科学戦隊ダイナマン」を中心に進めたいと思います。
それでは、まず「快傑ズバット」ですが、このTV番は1977年の放送ですね?

 そうです、東京12CHで放映されました。全部で32話あったと思います。

――資料によると2月2日から9月28日まで8ヶ月の番組ですが、それまで、テレビの子供番組のお仕事はなさっていらしたんですか?

 いいえ、初めてです。それまで私は、レコードの編曲の仕事のほかに、TVのCMなどをしていましたが、あるコマーシャルの制作プロダクションから「こんなTV番組が始まるけど、やってみないか」というお誘いがありました

――それが「快傑ズバット」ですね?1977年というと、京さんが「北国の春」を編曲された年でもありますが?

 ええ、その年の1月には制作が始まったと思います。

――ここに「快傑ズバット」のオリジナル・サウンドトラック〈COCX―30806〉のCDがありますが、それによると録音日が1月21日の日本コロムビア第一スタジオと、2月15日に東映東京撮影所内アフレコルームとなっていますが、第1回のTV放映まで、約10日前の録音だったんですね?

 そうですね。ただ、そのデータは劇伴のもので、主題歌はもっと前の、正月明けだったと思います。大体はそんな風に、ぎりぎりで録音するのが普通で、それは大変なんです。タイトなスケジュールは当たり前の時代でしたね(笑)。

――このお仕事を引き受けられようと思われたのは?

 まず、私の二人の小学生の息子が、やんちゃ坊主の頃でして、私自身子供番組に興味がありましたし、コンテを見たら面白そうだった。それに石ノ森章太郎さんという名前も知っていたので、この人と組めるのかなーと、魅力を感じました。

――それで、劇伴と並行して主題歌も作ることになったんですか?

 そうです、主題歌のレコード(シングル盤〈コロムビアSCS-339〉1977-3-1発売)のお話を、コロムビアのプロデューサー(ディレクター)さんがもってこられました。木村裕史さんという方で、回りの皆さん木村ジュニアと呼んでいらした。彼の父親が、同じ会社で部長さんで偉かったものですから(笑)。

【工事中】

第2回インタビュー

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