第4回インタビュー 竜鉄也「奥飛騨慕情」「紬の女」「哀愁の高山」「裏町酒場」

今日は竜鉄也さんの作品、なかでも代表的な「奥飛騨慕情」「紬の女(ひと)」「哀愁の高山」「裏町酒場」を取り上げ、編曲をされた京建輔さんに色々とお話をお伺いしたいと思います。

奥飛騨慕情

――まず「奥飛騨慕情」ですが、これは1980年6月25日にトリオレコードから発売(3B177)され、一年あまりで100万枚を越す大ヒットとなりました。累計は250万枚を越す驚くべき数字です。まずお聞きしたいと思います。竜鉄也さんとの接点はどんなところにあったんでしょうか?

 竜鉄也さんとは、「奥飛騨慕情」の録音の日に初めてお会いしました。それまでは竜さんが郡上八幡にいらっしゃったので、電話だけでした。喜多條忠さんから紹介されまして。

――「神田川」で有名な作詞家の喜多條忠さんですか?

 そうです。喜多條さんとは呑み友達だったものですから。当時、喜多條さんがNHKの旅番組に出ていらして、全国を回るなか、岐阜の郡上八幡で竜さんに出会ったんです。

――郡上八幡で、ですか?

 ええ、そこのスナック(歌謡酒場・呑竜〈どんりゅう〉)で竜さんがアコーディオンを弾いて、奥さんがタンバリンを叩いて「奥飛騨慕情」を唄った。それが、とても素晴しかったそうです。

――さすが同業者で、なにかピンとくるものがあったんでしょうね?

 竜さんは出身地の高山で演歌師として活動していましたが、奥飛騨温泉郷の新平湯温泉に仕事で滞在した折に、「奥飛騨慕情」を作詞・作曲されました。

――奥飛騨温泉郷ですか?

 雨の日が続いた時つくったそうです。

――それで歌詞に~ああ 奥飛騨に 雨が降る~というフレーズが毎回出てくるんですね?

 高山に帰って流しのレパートリーに入れると、お客さんに評判で、リクエストも多く人気が高かった。竜さんはそれで、なんとかお金を工面してレコード千枚を自費出版された。

――千枚でも大変な数ですね?

 ようやく地元高山で売りさばいたが、それ以上にはならなかったようです。
その後、奥さんの美津枝さんと知り合って、郡上八幡に移って、スナックを開店された。

――そのスナックで喜多條さんは竜さんの歌を聞いたわけですね?

 こんな歌の上手い人はなんとかしなければと思って、私に相談してこられました。

――今でいうメジャー・デビュー、世に出さなければいけないと思われたんでしょうね?

 それで「北国の春」のディレクターだった和田弘さんの力を借りて、トリオから発売の運びとなりました。和田さんは喜多條さんとも仲が良かったものですから。

――1980年版のオリコンのデータでは、原盤会社は恒友出版(現在は竜鉄也音楽事務所)で、出版がベストフレンドとなっていますね?

 そうです、和田弘さんは徳間音楽工業をおやめになって、独立して作った会社がベストフレンドなんです。小さな会社で、ようやくレコード発売にこぎ着けたことを覚えています。

――録音を前に、編曲の準備はどのようにされたんですか?

 まずは自費出版のレコードを聞かせてほしいと、喜多條さんにお願いしました。

――参考にしたいと思われた?

 ところが喜多條さんは、「京さん、そんなもの聞かなくて良いよ。僕が郡上八幡のスナックで録音したカセットを聞けば十分だよ」っておっしゃるんです(笑)。

――歌とアコーディンとタンバリンだけのですか?

 そうなんです。私は、それまで奥飛騨に行ったことはないし、奥飛騨の映像も見たこともなかった。どういう所かイメージが湧かなかった。

――それで竜さんに電話されたんですね?

 「奥飛騨というところはどういうところなんですか?」と。すると、竜さんは、「奥飛騨の風は緑で、川のせせらぎは何色で、山々は何色で~~~」と、文字通り色でもって色々と説明してくれるんです(笑)。それも春夏秋冬・季節によっては色が変わるんだと。

――奥飛騨の様子を色で説明されたわけですね?

 それで思いました。「すごいなー、竜さんはなんと鋭い感性をお持ちなんだろー」と。

――電話の会話になにかヒントが?

 話ができたお陰で、竜さんの優しい人柄を知ることが出来ましたし、演歌師としての竜さんと、地元の繋がりも垣間見ることができました。全体的なアレンジの骨格が見えてきたんです。

――「奥飛騨慕情」のイントロは一度聞くと、誰でも覚えてしまう、不思議な魅力があると思うんですが、竜さんがスナックで歌ったときのアコーディオンのイントロとは違うんでしょうね?

 編曲者にとってイントロは大変大きな仕事です。曲を生かすも殺すもイントロの出来次第によるところがあるんですよ(笑)。

――「奥飛騨慕情」のイントロだけで曲名がすぐわかるんですから、これはすごいことですね。編曲というより作曲と呼んでも良いお仕事ですね?

 当時私は、素人の方でも格好よくギターが弾けるような、イントロのフレーズをいつも考えていました。古賀政男さんの「湯の町エレジー」みたいな格好良い前奏です。

――それであの、イントロのジャーン・ジャッ・ジャジャ・ジャーンが出てきたんですね。

 四六時中考えていたことが「奥飛騨慕情」でやっと形にすることができた(笑)。

――そういえば、前回のインタビューのときに、そのお話を伺いましたね。焼肉屋のおじさんや、警察の所長さんがギターに夢中になるという。五木ひろしさんの「人生かくれんぼ」の時に出た話でしたか?

 ええ、ギターのレッスンが、夕方になると一杯やるほうの誘惑に負けてしまうという(笑)。

――ギター一本で格好良く弾ける前奏を作りたいという強い思いの結晶ですね?

 竜さんの「奥飛騨慕情」はAm(エーマイナー)のキーで録音しました。Amですと、ギターをカポタスト無しで弾けるし、難しい運指を使わなくて済みます。そしてギターの前に持ち出し(導入部)があれば、素人さんでも格好良く、簡単にギターのイントロが弾けるんです。

――すると「奥飛騨慕情」のイントロには持ち出しというのがあるんですね?

 出だしの2小節がそうです。マンドリンと弦が演奏していますが、その持ち出しの後に、ギターが登場するわけです。格好良くね(笑)。

――素人さんでも弾けるメロディーなので、シンプルで説得力があるわけですね?

 そうです、シンプル・イズ・ベストです。ただ録音のときは、その持ち出しがジャジャジャジャ・ジャン・ジャン・ジャーンだったんです。でも本番前の練習で、ディレクターさんが、「ちょっと口数が多いんじゃない。雰囲気が合わない」という意見が出ました。

――雰囲気とはどんな?

 飛騨よりもっと奥の、「奥飛騨の落ち着いた雰囲気」にしようと(笑)。
それで、ジャーン・ジャッ・ジャジャ・ジャーンに変更しました。それが奥飛騨のイメージにぴったり合ったんです。

――そうですか、それは貴重で面白い話ですねー。
さて、録音のことを少々お伺いしたいと思います。当日の録音スタジオはどちらでしたか?

 えー、ちゃんと覚えていますよ(笑)。随分前(1999年)に閉鎖してしまいましたが、テイチクの杉並スタジオです。

――〈堀テイ〉と呼んでいた、杉並の堀の内の住宅街のなかのスタジオですか?

 そうです。それで、録音の日に竜さんにようやくお会いできました。レコーディングを前に竜さんは大変喜んでくれました。ところが、いざ録音となるとそれが大変でした。

――それはどういうことで?

 竜さんはご存知のように目が不自由でしたから、いつも奥様がそばに付いていらした。ところが、スタジオではそうはいかない。歌入れですから、ご自身一人でブースに入らなければならない。

――スタジオのブース内は、外部の音が遮断されますから、そういうことと関係が?

 そうです。竜さんは耳をたよりされるわけですが、スタジオは周りからの音がほとんど入ってこないようになっている。一人だと怖い、と震えはじめちゃった。その上ヘッドホーンをしなければいけない。それで、もっと怖いとおっしゃる。かといって、奥さんが一緒だと声が入ってしまうので仕事にならない。そんなわけで、録音では別な面で苦労しました。

――対応はどのようにされたんですか?

 なるべくトーク・バックを頻繁にして、皆(奥さんも含めて、コンソール・ミキサー側にいる録音関係者)はそばにいるから大丈夫ですよという、竜さんが安心できる態勢を作った。それでなんとか録音ができたんです。随分時間はかかったんですが。

――予想だにしない、ハプニングでしたね?

 それ以降、新譜のボーカル入れは、竜さんの様子がより見えるようにと、杉並の小さなスタジオに変更しました。とに角あの時は、竜さんが「奥飛騨慕情」の歌詞を忘れるはずがないのに、最初は恐怖で歌詞が出なかったんですから(笑)。

――でも、今あらためて竜鉄也さんの歌われた「奥飛騨慕情」を聞くと、声もしっかり出て、上手に歌っていらっしゃいますね。録音時にそんなことがあったなどと、想像もできません。さすがミリオン・セラーの歌、という感のほうが強いんですが?

 ご自身の作詞・作曲ですから当然なことですが、歌詞とメロディーがぴったり合っていますね。必要な箇所は多少のこぶしを付けていますが、リズムにきっちり乗って、素晴しい。竜さんが仮に健常者であったとしても、大ヒットしたと思います。

――声も下から上まできっちり出ていて、ど演歌という感じは全くしませんね?

 今の若い演歌歌手は、竜さんのようにきっちりリズムに乗って歌うことをお手本にして、もっと勉強すると良いと思います。

――「奥飛騨慕情」は色々な歌手の方がカバーでお出しになっていますが?

 総じて言えることは、この曲に限っては、男性歌手より女性歌手のほうが上手に歌っていますね。女性歌手は元を良く聞いて、しっかり憶えてから録音しますが、男性歌手はいわゆる自分流にシンコペーションしたりしてしまう。そうすると「奥飛騨慕情」でなくなってしまうんですね。音符通りに歌わないとこの曲は生きないんですよ。

――きっちり歌うことが必要なんですね。
さて、バックの演奏者についてお聞きしたいんですが、ガット・ギターは木村好夫さんですか?

 いえ、このときは秋山実さんです。オールラウンドのギタリストで、この時も淡々と弾いてくださった。サイド・ギターは演歌のリズムを刻んでいるんですが、3番だけはアルペジョに変えたんです。アレンジ上の仕掛けです。秋山さんはクラシック畑の出身だったものですから、譜面通りにきっちりと弾いてくださった。で、予想通りのアレンジの効果が出た。小さいことですが、そんな時の嬉しさはなんともいえないんですよ(笑)。

――アレンジャー冥利に尽きるという瞬間ですね。弦は玉野グループですか?

 そうです。高い音もほんとに綺麗に弾いてくださって、今あらためてCDで聞いてみても本当に素晴しいです。ドラムはチコ菊池さん、ベースは寺川正興さん、あのジョージ川口とビッグフォーなどでもおなじみの方です。ドラムもベースもジャズ出身の方で固めてました(笑)。

――1981年度のオリコン年鑑の年間ベスト100を見ますと、1位は「ルビーの指環」で、「奥飛騨慕情」が第2位でした。81年度の売り上げは128万260枚というデータが残っています。

 そうですか。まさに爆発的という言葉がぴったりでしたね。

――前年6月の発売で、その年は6万1千750枚という数字ですから、発売後半年過ぎた頃から急上昇して、そのまま長く売れ続けた。毎月の順位が一位にこそなっていませんが、半年の間、4~9位の番付を守っています。これはすごいことですね?

 長い期間ということでは「すきま風」「北国の春」と同じ傾向でしたね。

――第23回のレコード大賞のロングセラー賞の受賞は当然のことですが、第14回有線大賞の大賞受賞は嬉しかったのでは?

 ええ、有線のリクエストがすごかったですからね。大賞受賞は詞・曲のほかに編曲も対象になりまして(笑)。

――年間のリクエストはダントツ1位の獲得。2位が「みちのくひとり旅(山本譲二)」、3位が「ルビーの指環(寺尾聡)」、4位が「ブランデーグラス(石原裕次郎)」、5位が「メモリーグラス(堀江淳)」、6位が「長い夜(松山千春)」、7位が「恋人よ(五輪真弓))といった具合で、今も人気の名曲ばかりですね?

 有線のリクエスト、それも演歌のリクエストは居酒屋やスナックのお客さんだと思うんです。格好良くギターを弾きたいという男性が多かった証(あかし)拠かもしれませんね。

――格好良くギターを弾きたいという男性をターゲットにした京さんのアイディアが当たったんですね?

 私と竜さんの出会いは運命的と言っても良いと思います。編曲の仕事をはじめて(レコードデビュー【花を咲かそう「マッハ文朱」1974-3-10】5年目で「奥飛騨慕情」の大ヒット。嬉しい反面、これで自分の路線が決まってしまったという思いもあって、少々複雑な気持でしたね(笑)。

――それはジャズ出身の京さんの正直なお気持で?

 全部が全部そういうわけでもないんですが、私の音楽人生のなかでも大きなことだったと思います。

――今のNHK・BSのお仕事「日本の歌」とは違った取り組み方だったんですか?

 レコードのための仕事は、この頃がピークでしたね。カウント・ベーシーなどを参考にして編曲している今の自分には、もう「奥飛騨慕情」のようなアレンジはできないかもしれませんね(笑)。

――1981年度に活躍した編曲家のデータ(オリコン)では、この年、京さんは主な50人の編曲家のなかで、堂々のベスト7位で、193万4千枚の売上げに貢献。「奥飛騨慕情」「人生かくれんぼ(五木ひろし)」「哀愁の高山(竜鉄也)」「紬の女(竜鉄也)」「望郷酒場(千昌夫)」「あなたの妻と呼ばれたい(牧村三枝子)」「女心は港の灯(八代亜紀)」「なみだの宿(石川さゆり)」「娘へのバラード(東八郎)」「雪の宿(杉良太郎)」などなどで、それはそれはお忙しかったんでしょうね?

 前の年はもっと忙しかったんではなかったかなー。

――前年の1980年は、編曲家としては第6位で、174万9千枚の売上げに貢献されて、主だった作品の編曲は、上から「おまえとふたり(五木ひろし)」「倖せさがして(五木ひろし)」「抱擁(箱崎晋一郎)」「すきま風(杉良太郎)」「酒は男の子守唄(渡哲也)」などです。それと「奥飛騨慕情」もその年の発売ですから、すでに登場して売上げに貢献しています。

 そうかー、やっぱり忙しかったんだー(笑)。

――1981年の演歌部門の総括として、竜鉄也さんの「奥飛騨慕情」を、「曲・歌唱とも素朴だが、演歌心の原点をついた歌の強さがある。演歌のシンガーソングライターの誕生はユニークで、今後の演歌のひとつのあり方を示す」とあります。

 竜さんはまさに、演歌のシンガーソングライターだったと思います。

哀愁の高山

――それでは「紬の女」と「哀愁の高山」に移りたいと思います。

 「哀愁の高山」と「紬の女」と、どちらが先だったかなー?

――「哀愁の高山(3B706)」と「紬の女(3B703)」は共に1981年のリリースになりますが、「紬の女」は4月25日、「哀愁の高山」は6月16日の発売です。2ヶ月ほど「紬の女」のほうが早いんですね?

 そう、思い出しました。普通は間隔を空けて発売するんですが、「哀愁の高山」がテレビ朝日の朝の番組に取り上げられることが決定したので、「紬の女」の2ヶ月後に発売されたんです。出版にテレビ朝日(テレビ朝日ミュージック=ベストフレンド)がついたと思います。

――テレビ朝日の朝の番組ですか?

 北村英治さんが出る番組で、竜さんが今週の歌のコーナーで「哀愁の高山」を歌いました。ただ北村英次さんのバンドなので、演奏はクラリネットとヴィブラフォンがメインになる。試みとしては面白かったんですが、一応演歌ですから、ちょっと無理があったかもしれません(笑)。

――しかし、今あらためて「哀愁の高山」をCDで聞いても、シンプルで美しいですね。叙情味があって、品も良くて。

 そう、今の私には、こういうのはもう書けないかもしれないなー(笑)。
秋山さんのギターに風間さんのアコーディオン、それに宇都宮さんのマンドリンを使ったアレンジが多かった。当時は三点セットと呼んでました(笑)。

――イントロの、弦とマンドリンが奏でる旋律がとても綺麗ですが、歌が始まって、12小節の一拍前からの4小節間、リズムが突如変わるりますね、これは?

 一番の歌詞の「ひとつ たのむと 声かける」のところでしょう。
これは、サビの4小節前にあたる部分で、必然的にこうなった(笑)。
ドラムのチコ菊池さんのリードとベースの寺川さんが、スイングして格好良いでしょう。

――とても面白いですね。それと印象的なのが、ラテンパーカッション。リズムを小気味良く刻んでいますが、これはなんという楽器ですか?

 ああ、あれは、クラベス(ウッドブロック)なんです。

――なにか山の奥の、樵(きこり)の響きのようで、のどかな雰囲気が伝わります。
それとヴィブラフォンのような、高い音程で歌に合わせて奏く楽器は?

 グロッケンです、可愛らしくて好いでしょう。金山さんがハートフルに弾いてくださってる。

――歌詞を見ると、夜の高山のスナックや居酒屋などで歌っていた、竜さんご自身がモデルですか?

 そうです。詞に《裏町・兄弟流し・ネオン街・アコーディオン・縄のれん・赤提灯・情け横丁・流し歌》などが並んでいます。竜さんならではの、いや竜さんにしか書けない独自の世界かと思います。

――ご自身の体験から生まれてきたからこその、説得力ある作品なんですね。
それをしっかりとした声と音程で歌う竜さんは、まさに演歌師そのものですね?

 竜さんは体格も良くて、盲学校の頃には柔道3段か4段の腕前だったそうです。ですから高山で流しをしている頃に、お店でトラブルがあっても、絶対にひるまなかった。チンピラやくざなどは、店の外に連れ出して、投げとばしたという伝説がある位なんですよ(笑)。

――そういえば、竜さんの歌声は、お相撲さんのように、骨太でしっかりしていますね?

 竜さんはその上、とても礼儀正しくて律儀でした。「奥飛騨慕情」が売れはじめたというので、急ぎ東京に仮住いを見つけたんですが、家財道具無しで出て来ちゃった。

――急に売れたんですから、家財道具無しでもしょうがないですね?

 布団一枚無いので、私がその頃住んでいた世田谷の近所の飲み仲間に相談したところ、「これは新品だけど使ってない布団だから」、「これは押入れに入れっぱなしの電化製品だから」と、5,6人の仲間があっという間に、家財道具一式揃えちゃった(笑)。

――道具が一式揃ったんですか?

 それも一日で(笑)。
それで竜さんはしばらくしてから、御礼にといって、飲み仲間が根城にしている居酒屋でミニ・コンサートを開いて下さった。

――ミニ・コンサートですか?

 アコーディオンを奏きながら、三橋美智也さんや、春日八郎さんの曲など、何十曲も歌ってくれました。嬉しかったんでしょうねー、皆んなからもらった恩を、自分の歌で返したかったんだと思います。

――飲み仲間の皆さんも、随分と喜んだことでしょう?

 ところが2,3年もすると、飲み仲間のある人物などは、「俺が竜さんを呼んでコンサートを開いた」なんていう、ふとどきな奴も現れたりしましてねー(笑)。

――ははあ、そういう人はどこにもいるんですねー(笑)。

紬の女

――「紬の女」、この曲は竜さんの詞ではなく、さいとう大三さんですが、これは?

 「哀愁の高山」とくっついた時期なので、竜さんも忙しかったのか、その点はわかりませんが、やはりご自分の詞でないので、曲の作りも違うようです。その分、斬新な曲に仕上がったのかもしれませんが。

――さいとう大三さんは、「紬の女」の発売と同年(1981年)に、森昌子さんの「北寒港」の作詞をされていますね。

 そうですね。この後、美空ひばりさんの「裏町酒場」を作詞なさった。

――作曲を竜鉄也さんが、編曲は京さんということで、この後にお話をお伺いしたいと思ってます(笑)。
「紬の女」に話を戻しますが、この曲のアレンジでなにか特長的なことは?

 めずらしいといえば、バスクラ(バス・クラリネット)とフルート、それに女声コーラスでまとめたことです。

――イントロ1,2小節と4小節のボーという低い音の楽器がバスクラですか?

 そうです。その後の5,6小節目に女声コーラスがフルートと一緒に登場してくる
んですが、なにかとっても不思議な音でしょう(笑)。

――いいえ、おっとりとした雰囲気で良い感じだと思います。ガット・ギターではなくエレキ・ギターがこの曲では存在感を出していますし、1番と2番の間の間奏はフルートで、全体像としてはすっきりまとめられていると思いましたが?

 今のレコード会社は演歌にも大掛かりなイントロやおかずを要求するので、そういう傾向のものが主流となっています。ですから、シンプルな編曲と比較すると面白いんですよ。

――歌の邪魔をするくらいのアレンジも多いようにも思いますが?

 この曲の歌のメロディーの音域はとても広いんです。でも竜さんは上も下もしっかりと声を出して歌っていらっしゃる。これが出来るようで、出来ないことなんです。

――「紬の女」の紬というと、昔は全国各地で生産されたものだそうですが、ここに出てくるのは郡上紬でしょうか?

 和服には詳しいほうではないんですが、恐らく作詞のさいとう大三さんは、竜さんの目となり杖がわりになった奥さんをイメージされてお作りになったのではないかと想像します。

――「哀愁の高山」と「紬の女」。どちらも高山を舞台にしてできた作品かと思いますが、京さんは「奥飛騨慕情」のお仕事の後、何度か高山方面に足を運ばれたそうですが?

 2、3度は訪ねたかと思います。奥飛騨温泉郷にも、郡上八幡にも行きました。
最後は竜さんが亡くなられる(2010年12月)数ヶ月前にお見舞いに行きましたが、自然に囲まれた綺麗なところですね。

――「哀愁の高山」と「紬の女」は「奥飛騨慕情」の数字には届きませんでしたが、それでも発売後一年で「哀愁の高山」は20万枚、「紬の女」も15万枚の売り上げを記録しています。どちらも大ヒットで、1981年の竜さんはさぞお忙しかったことと思いますが、その翌年の1982年に発売となった「裏町酒場」について話を進めたいと思います。

裏町酒場

――美空ひばりさんに竜さんの曲を歌わせるという企画はどこから来たんですか?

 美空ひばりさんのプロデューサーだった中村一好さんが、シングル盤でもLP用でも良いから、とにかく竜さんに、ひばりさんに一曲提供してほしいという申し出をされたことがきっかけです。

――中村一好さんというと、都はるみさんの事務所の社長をされてた方ですね?

 コロムビアのディレクター時代に、ちあきなおみさんの「矢切の渡し」や石川さゆりさんの「天城越え」など、沢山のヒット曲を残されました。やはり、そういう方なんですね、目の付け所が違うというか、竜さんに作曲を依頼されてこられました。

――コロムビアのシングル盤として、1982年5月29日の発売(AH220)され、半年後の11月には12万3千枚の販売実績を残しています。ひばりさんのヒット曲のひとつが誕生したわけですね?

 うちのカミサンもカラオケでこの曲をよく歌いますよ。「奥飛騨慕情」よりも歌いやすいようで(笑)。

――なにか独特の雰囲気がある曲ですね。美空ひばりさんの歌の実力が判る、魅力いっぱいの曲ではないかと思いますが、この曲も弦をはじめとして、マンドリン、ガット・ギターそれとアコーディオンが主役ですか?

 アコーディオンは小さいタイプのミュゼット・アコーディオンです。風間さんが演奏して下さいました。通称ミュゼット・アコと言って、フランスの民族楽器で、シャンソンなどで活躍する繊細で可愛らしい音色が特長なんです。ビブラートが良くきいて。

――ガット・ギター、これは木村好夫さんですか?

 そうです、わかりますか?装飾音符など、しっかりと弾かれていますね。音色も粒立ちが良いというか。素晴しい(笑)。

――詞は「紬の女」と同じ、さいとう大三さんですね?

 そうです、竜さんの流しの時代を彷彿とさせますが、普通の男性と女性の儚い恋がテーマで、日本全国の何千・何万という裏町酒場が舞台でしょうかねー。

――竜さんは作曲した後、ひばりさんに出来上がった曲をどう伝えたんですか?

 デモ・テープをひばりさんに渡して聞いて憶えていただいたようです。勿論同じものが私にも来ました、アレンジの為に。それを聞いて編曲して、その後オケの録音をしました。中村一好さんが、イントロの4小節目と、歌が始まって4小節目のミュゼット・アコの〈ド・ミ・レ・ド・ラー〉の旋律をとても気に入って下さったのを覚えています。

――その時ひばりさんは来られたんですか?

 それが、ひばりさんは別の仕事のためスタジオには来られなかった。それで、歌入れの時にはお会いできると思って楽しみにしていたんです。

――歌入れでお会いすることができたんですね?

 それが今度は急に私に、どうしてもはずせない仕事が舞い込んできまして・・・。
結局、ひばりさんとは残念ながら、録音ではお会いすることができませんでした(笑)。

――では、ひばりさんの歌はレコードのサンプル盤ができてから初めてお聞きになったわけですね?

 そうです。それでレコードを聴いて大変びっくりました。

――びっくりされた?

 出だしの ~雨にぬれてる 赤い灯が~ を聞いて驚きました。
竜さんから送ってきたデモ・テープの竜さんの歌い方と同じ歌い方で、ひばりさんが歌っているんです。勿論それ以外のサビなどは、ひばりさん特有のひばり節なんですが。

――ひばりさんのような天才的な歌い手は、人の真似も大変上手だとよく聞きますが?

 出だしの部分を真似をしたというより、この歌い方が理にかなっているということをデモ・テープを聞いたひばりさんは瞬間的に知って、それで竜さんと同じ歌い方をされたのではないかと思いました。

――耳の良い、天才歌手美空ひばりさんならではの素晴しいお話ですね。

まだまだ楽しい話をお伺いしたいのですが、時間もそろそろ参りましたので、この辺でお開きにしたいと思います。今日はお忙しいなか、どうも有難うございました。
次回は吉幾三さんの「雪國」を中心に又お話を伺いたいと思います。

第5回インタビュー

第4回インタビュー 竜鉄也「奥飛騨慕情」「紬の女」「哀愁の高山」「裏町酒場」 への1件のフィードバック

  1. 田中建治 のコメント:

    拝啓
    初夏とはいえ暑い日が続いていますがいかがでしょか。
    私は町内のカラオケ大会で毎回「奥飛騨慕情」を歌わせていただいたものです。もう40年以上に渡り愛唱させてもらっています。イントロ台詞などもいれて楽しんでいます。テープも古くなりましたのでパソコンで練習しています。「紬の女」や「裏町酒場」は今の私には声が続かずやっと歌っています。
    偶然に見つけたこのサイトを楽しませていただき、ありがとう御座いました。ご活躍をお祈りいたします。2015・05・26田中建治・73歳
    敬具

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