第3回インタビュー 五木ひろし「おまえとふたり」「倖せさがして」「人生かくれんぼ」「契り」

――今日は京建輔さんの編曲した、五木ひろしさんの「おまえとふたり」「倖せさがして」「人生かくれんぼ」「契り」の4曲を取り上げて、色々とお話を伺いたいと思います。まず、「おまえとふたり」ですが、このレコードは1979(昭和54)年10月1日に徳間音楽工業(1972年にミノルフォンから社名変更)から発売されました。作詞はたかたかしさん、作曲が木村好夫さんです。翌年3月に発売された「倖せさがして」と同じコンビですね?

 そうです。「おまえとふたり」が大ヒットしたので、追いかけるように発表された作品です。

――作曲の木村さんはギタリストとして有名な方ですが、作曲もされていらっしゃったんですね?

 そうです。木村さんは美空ひばりさんのバックミュージッシャンとして一世を風靡したガット・ギターの名手ですが、作曲も100曲位お作りになったのではないでしょうか。

――「おまえとふたり」と「倖せさがして」が大ヒットでしたから、数少ない木村さんの代表作と思っていましたが、沢山お作りになっていらしたんですね?

 そうです、前にもお話ししましたが木村さんは早く(62歳=1996年)お亡くなりになりました。まだこれからというお歳で大変残念だったんです。とは言え、五木ひろしさんとは長いお付き合いだったと思います。

――その五木さんですが、コロムビアで〈松山まさる〉の名でデビューして、ポリドールで〈一条英一〉、その後ミノルフォンで〈三谷謙〉、と三度もレコード会社と名前を変えて、大変苦労されたようですね。(*五木ひろし著:「ファイティングポーズの想い」/日本放送出版協会発行 参照)

 そうです。17歳でコロムビアからデビューして6年間、苦労の連続だったと思います。ミノルフォンの〈三谷謙〉時代に、背水の陣で「全日本歌謡選手権」に出場して、10週勝ち抜きをして、心機一転〈五木ひろし〉でミノルフォンから再デビューされ、「よこはまたそがれ」で念願のヒットを飛ばしたんです。

――全日本歌謡選手権というのは、毎週10人が出場して、その中の3組だけが翌週に進むことができるという過酷で有名な、伝説的なあの番組のことですね?

 プロもアマチュアも出るという番組で、毎回違う曲を歌わなければいけない。10週勝ち抜くというのは、よほどの実力がないとできないことだったと思います。

――平尾昌晃さん、淡谷のり子さんなどが審査員だったそうで?

 山口洋子さんも審査員のおひとりで、「よこはまたそがれ」は山口さんの作詞ですし、作曲は平尾昌晃さん。〈五木ひろし〉の名前は山口洋子さんがお付けになった。名付け親ですね。五木ひろしの五木は五木寛之さんからいただいたそうです。

――1971(昭和46)年に「よこはまたそがれ」でヒットをだされた後、五木さんは「長崎から船に乗って」(S46)、「かもめ町みなと町」(S47)、「待っている女」(S47)、「旅鴉」(S47)、「あなたの灯り」(S47)、「夜空」(S48)などヒットを立て続けに出されたわけですが、木村さんとの接点はどこにあったんでしょうか?

 当時はシングル盤の制作と平行してLP盤の制作が多かったと思います。シングル盤のヒット曲を核にして、往年の名曲や流行歌をちりばめて編成したものや、当時ヒットしていた別の歌手のオムニバスの企画物LPなど出されていました。その中に木村さんのギターをバックで歌うLPシリーズ「ひろしとギター」があったんです。

――木村さんのギター伴奏で五木さんが歌うLPですか?

 そうです。五木さんは、ご自身もギターをお弾きになりますから、ギターには深い愛着をお持ちです。たぶんシリーズで7枚ほどリリースされています。

――苦労のさ中、五木さんは新宿のクラブでギターの弾き語りなどもされていたと本にありましたが

 そうですね、ギターに対する思い入れは大きかったと思います。その中に、実は「おまえとふたり」が入っているんです。伴奏は勿論木村さんで、曲も木村さん。地方公演でこの曲をやるとお客さんの反応がよく、大変人気なので、シングル盤として発売しようということになったわけです。

――「おまえとふたり」のレコード会社は、「北国の春」と同じですから、京さんに編曲を依頼されたディレクターさんは、「北国の春」の時の和田弘さんですか?

 五木さんのデビュー時のディレクターさんは和田さんでしたが、五木プロモーションが設立したこの頃から、ひのきしんじさんでした。

――では五木さんと京さんとの接点についてお聞かせ下さいますか?

 私は「おまえとふたり」の前に、五木さんのヒット歌謡アルバム(LP)の中の何曲かをアレンジしていました。

――LPだと、レコード・メーカーは数人のアレンジャーを起用しますね?

 ええ、その中の一人として、「上海帰りのリル」(東條寿三郎作詞・渡久地政信作曲)や、夜に因(ちな)んだ、ちょっとJAZZっぽい曲など書かせてもらいました。その中に、「そっとおやすみ」(クニ河内作詞・作曲)がありまして、五木さんがこのアレンジをとても気に入ってくださった。ご自身の歌の出来も良かったんでしょうか、ラジオの深夜番組のゲスト出演の際、なんとこの曲をリクエストされたんです。

――「そっとおやすみ」は夜にピッタリのカラオケでも大人気の甘いムーディーな曲ですね?

 それで、当時は譜面だけ書いていたので、五木さんと直接顔を合わせることはなかったんです。たぶん洋物のアレンジができる私を、五木さんはそれなりに評価して下さっていたのではないかと思います。

――そうすると、かなり前から五木さんは京さんのことを、顔は知らずともご存知だったということですね?

 そうです。それにレコードだけでなく、五木さんのショーの曲アレンジもしていました。まあそんな経緯もあったものですから、「おまえとふたり」のレコーディングの時に初めてお会いしたんですが、五木さんが私のそばに来て「ヨー」と、旧友みたいに気さくに声をかけてくださったので、びっくりしたのを憶えています。

――五木さんはそんなにフランクな方なんですか?

 ええ、決して偉らぶりませんし、スタッフの方にも誰彼なく同じように接する方です。それでも長い40年以上のお付き合いを通して言えることは、お互い気が合うところがあったのだと思います(笑)。

――さて「おまえとふたり」を聴きますと、まずイントロのガット・ギターの明るく弾んだ演奏が耳に飛び込んできますが、そのギターを追いかけて登場する楽器はなんですか?全曲を通して、とても印象的なんですが?

 京琴です。京琴は日本的な雰囲気を醸し出す楽器ですので、以前からチャンスがあったら使ってみようと思っていました。ところが録音当日、木村好夫さんはこの楽器が気に入らなかったのか、「ギターだけで良いだろう」と、不機嫌そうにおっしゃったんです。

――作曲者でもある木村さんの意見ですから、京琴を楽器の編成に入れることには躊躇さたのでは?

 勿論です。木村さんは、前にお話したように、録音の際、私のアレンジを理解した上で、独自の微妙な味付けをしてくださる。曲が引き立つんですね。又、ちょっとしたアイディアも提案してくれる。ですから、普通だったら木村さんの意見を聞かなきゃいけなかったんでしょうが、この時ばかりは、京琴では絶対に譲りませんでした(笑)。

――10月の発売で、翌年には100万枚にせまる大ヒットを飛ばし、1980年度のレコード大賞金賞の初受賞など、華々しい結果に、その後の木村さんの京琴に対する反応は?

 もう発売後は何もおっしゃらなくなりました(笑)。この後、木村さんはマルチテープの別トラックに、ご自身のギターで別のパートをアフレコしたものをお出しになったはずです。

――レコード大賞の受賞式には京さんも出席されたと思いますが、その時の印象は如何でしたか?

 それがレコード会社から出席の依頼があったので、当日会場に行くと私の席が準備されてなかったんです。よくよく聞いてみると、レコード会社からの連絡がうまくいってなかったようで、急遽席をこしらえてもらったような次第で。それは大変でした(笑)。

――NHKの紅白歌合戦では「おまえとふたり」を歌われたんですね?

 そうです。それも白組のトリでしたので、私にとっても大変良い年末でした。

――ところで、この京琴はどなたの演奏ですか?

 山内喜美子さんです。琴の演奏家として大変有名な方で、京琴も奏かれるんです。この京琴というは大変めずらしい楽器で、他の方が奏かれるのは聞いたことがないと思います。金属弦なのでギターでいうチョーキングがよく聞こえてとても好い味が出るんです。山内さんは譜面に強いのでスタジオでは大変重宝されて、当時、多くのレコード会社が琴の演奏物LPを出しましたが、演奏はほとんどこの方です。

――五木さんの歌がまた良いですね?

 そうです、この時分の五木さんの歌は絶品ですよ。正確に歌って、リズムがあって。こういう曲でリズムがある人は、演歌歌手ではめずらしいです。本当に素晴しいと思います。

――それでは、次の曲「倖せさがして」に移りたいと思います。
「おまえとふたり」と同じコンビの、たかたかしさんの作詞、木村好夫さんの作曲で、発売は「おまえとふたり」の翌年の、1980年3月5日で、5ヶ月後ということになります。
この曲も「ひろしとギター」のアルバムに入っていたんですか?

 いいえ、この曲は「おまえとふたり」がヒットしたので、ふたりの作家コンビに新規に託された、純粋にシングル盤のための楽曲です。

――この曲を聴きますと、やはり全編にわたって木村さんのガット・ギターの響きとリズムが心地良いんですが、イントロのメロディーが、すーっと自然に入ってくるような気がしますが?

 このイントロの旋律は私が作りました。昔は作曲家が、例えば古賀政男さんなどは、イントロのメロディーを、曲の一部としてお作りになったんですが、最近は曲本体しか書かない場合が多いんです。そういうときは編曲者が考えなければいけないんで、結構大変なんです。

――イントロは間奏にも、エンディングにも使いますから、曲全体の割合からすると、結構な分量になりますね?

 そうです。大変で難しいんですよ(笑)。

――「倖せさがして」のイントロはガット・ギター一本で弾かれているんですか?

 いいえ、ギターをもう一丁使っています。ダビングですね。所謂ツインギターで木村さんに弾いていただいています。

――ツインギターは最近では当たり前のようになっていますが、当時としては結構画期的なことだったんではないでしょうか?

 「おまえとふたり」の時は、木村さんが一人でツインギターを、いうなれば一人ツインギターをしている箇所があるんですが、ここではさすがに一人ツインは無理なので、ダビングをしています。この後、エレキ・ギターのツインの技法を取り入れる編曲者が多くなったかもしれません。(笑)

――バックのリズムも何かとても軽くて気持がいいですね?

 そう、これは木村さんがおっしゃるのには、このリズムはカンシオン・ボレロだと。

――そんな名前のリズムがあるんですか?

 ご自身でギターのリズムをも刻んでいらして。リズムは解るんですが、こういう名前のリズムはそれまで聞いたことがなかったんです。

――曲の後半で(曲頭から12小節目の4小節間)女声コーラスが出てきますが、これがとてもさわやかで気持が良いんですが、この声は?

 この女声グループは、川島和子さんのグループです。「宇宙戦艦ヤマト」のスキャットで有名な方です。実は、さっき話に出なかったんですが、「おまえとふたり」のサビの「しあわせを しあわせを 今日からふたりで」の歌詞(1番から3番まで同じ)を、川島和子さんのグループにやっていただいたんです。木村さんはこれにも反対でした。

――五木さんの声が最後に女声コーラスと渾然一体となって、とても綺麗ですが?

 それで、女声コーラスでもめましたが、私はここでも譲らなかった。そんなことがあったんで回りの人からよく言われました。「木村さんと喧嘩できるのは京さんぐらいだ」って(笑)。

――でも、そういうぶつかり合いがあって良いものができるんでしょうね。貴重なお話ですね?

 録音時には、作家さんもいれば、レコード会社のディレクターはじめ多くのスタッフもいる、アーティストの事務所の方はいるで、あっちからこっちから注文が出るのをまとめるのは、それは大変なんですよ。(笑)

――さて、「人生かくれんぼ」は、「倖せさがして」の翌年、1982年7月1日の発売になります。作詞はたかたかしさん、作曲は弦哲也さんです。この曲も100万枚の大ヒットで、第23回のレコード大賞・金賞の受賞作品ですが、やっぱりギターのイントロが印象的ですね?

 私の編曲は、ピアノでなくギターを使って、オタマジャクシを生んでいくタイプなんですが、この時代はガット・ギターを持っている男性の方が多かったんです。

――まだカラオケが流行る随分前の頃でしょうか?

 勿論、上手に弾ける方はそうはいなくて、古賀政男さんのメロディーを弾いて楽しむといった程度なんですが、こういう方々がちょっと格好良く弾いてみたいというメロディー、そんなメロディーでイントロを作りたかったんです。

――上手くは弾けないけれども、挑戦してみたいと思うようなメロディーですね?

 実際、私の周りにそういう方が何人かいらして、焼肉屋のおじさんとか、警察署の所長さんとか。やりたいけど、思うようにはなかなか弾けない。なんとかして覚えて、人前で格好良く弾きたい。随分教えてさしあげたんですが、夕方、レッスンの途中で「先生そろそろ一杯やりに行きましょう」になっちゃう(笑)。

――この曲のイントロの、主旋律のガット・ギターを追っかけるように、別のギターが出てきますね、なにか2丁のギターで、曲タイトルにもある、【かくれんぼ】をしている、そんな風に聞こえるんですが?

 この間、このイントロと全く同じような曲をラジオで聞きまして、一瞬私が編曲したものかと思ったことがありました。勿論、私の編曲の曲ではなかったんですが。

――いわゆる(パクられた)ということでしょうか。困ったことですね?

 イントロは8小節あるんですが、5,6小節目に、歌詞の「ちょいと人生かくれんぼ」のメロディーを使ったんです。普通、曲メロディーをイントロには使わないのが原則なので、作曲家の弦さんが、録音当日イントロを聞いて、「京さん、歌が始まる前に使わないでよー」と目を丸くしていらした。

――でも、それがとても効果的で、すんなりと五木さんの歌に入っていくんですね?

 よく、ガット・ギターのイントロがピアノだったら、つまらない演歌になっただろうな、と思うことがあります。

――それだけギターは庶民的な、身近で親しみのある楽器なんですね?

 ギターで格好よく弾きたいと思うような、そんなメロディーをイントロにもってこようというこの考え方の延長線上に、実は「奥飛騨慕情」があるんです(笑)。

――そうですかー、竜鉄也さんの「奥飛騨慕情」は次回に予定していますので、そこであらためて、たっぷりとお聞かせいただきたいと思います。
「人生かくれんぼ」を聴いていて、ギター以外で印象的というと、バックでメロディーとおかずを弾いている、鉄琴みたいな高い音色の楽器、とても存在感がありますが、あれはなんですか?

 グロッケンです。弾いていらっしゃるのは「北国の春」のときにもご紹介した、金山功さんです。スタジオではキンチャンと呼んでいいました。ジャズ出身だけあって、音を大切に、心を入れて演奏して下さいますので、本当に曲が生きるんですね。小さな楽器で、音域が狭くて演奏は難しいんです。

――それと、全体のリズムをコントロールしているドラムですが、とても歯切れが良く、スカッとしていて心地良いですね?

 チコ菊池さんです。名前からもお判りになるかと思いますが、ジャズ出身の方で、まだ現役で活躍されている日本を代表するドラマーです。

――チコというと、アメリカのウエストコーストの名ドラマー、チコ・ハミルトンのことですか?

 そうです、チコという愛称を付けて、若い頃から中村八大さんや八城一夫さんのところで大活躍でした。ブラシが超上手くて、NHKのTV番組「夢であいましょう」(1961年~1966年放送)などにも中村さんや、八城さんと一緒に出演されていました。番組が生放送でしたので、ビデオは残っていませんが、フィルムがいくつかあって、若かいチコさんが見られます。ドラムが上手すぎて凄いんですよ(笑)

――ジャズ出身の方の演歌の演奏、ちょっと不思議に思いますが?

 前にもお話した通り、演歌出身のスタジオ・ミュージシャンの方はいらっしゃらないんです。どんなジャンルの音楽にも適応する能力を、どなたも持っていらした。そして演奏にハートがあるんですね。

――バックのストリングスですが、とても美しく、それでいてしっかりと曲を支えている。そんな風に聞こえますが?

 ストリングスは玉野グループです。玉野嘉久さん率いる弦のグループです。私は、玉野さんには随分とお世話になりました。弦の音の組み合わせをどうすれば響きが良くなるか、といった編曲の要を親切に教えていただいた。私の弦のアレンジの基礎は、玉野さんからいただいたと思って、感謝しています。

――さすがに弦の方々はクラシック畑出身なんでしょうね?

 玉野グループは、かゆいところに手が届く、数ある弦のグループでも大変評判の高いグループでした。竹内まりやさんの録音などにも参加されていて、ポップス系にも強かった。ただ、仕事が忙しすぎたのか、玉野さんは早くにお亡くなりになりました。残念です。

――スタジオにおけるストリングスの編成はどんな具合なんですか?

 スタジオでの弦の編成は、6422(ろくよんにーにー)と言って、第1ヴァイオリンが6人、第2ヴァイオリンが4人、ビオラとチェロがそれぞれ2人です。勿論色々あるんですが、これが一般的です。というのもスタジオでの録音では、この編成が他の楽器やボーカルとのバランスが良く、最終的な仕上がりが一番良いからです。

――それでは、最後の「契り」にまいりたいと思います。
「契り」は1982年7月1日の、「人生かくれんぼ」の、これも翌年の発売になります。東映映画「大日本帝国」の主題歌で、作詞は阿久悠さん、そして作曲は五木ひろしさんご本人ですね?

 そうです。超大作ということで、大物の俳優さんが勢ぞろいの映画で、テーマも重く、東映さんの気合はそれは大変なものでした。

――この曲を聴きますと、冒頭ハープのグリッサンドと弦のコードの後、ハープ伴奏で五木さんの「あなたは誰と契りますか 永遠(とわ)の心を結びますか」裸同然の歌が来ますね。イントロなしの、このアイディアは本当、凄いと思うんですが?

 これには訳があるんです。実は、このアレンジは3回書き直しをしています。

――えー、3回もアレンジされたんですか?

 そうです。映画の音楽監督は山本直純さんでして、そのお弟子さんが、たかしまあきひこ(本名:高島明彦)さん。芸大出のバリバリで、長いこと直純さんをサポートしてこられた方ですが、たかしまさんも平行して主題歌をアレンジしていたんです。

――どちらが良いか天秤に掛けられたわけですか?

 ところが、どちらのアレンジも〈帯に短し〉ということで、採用されない。私が書いたものは、映画監督の舛田俊夫さんが「映画では使えない」とOKが出ない。たかしまさんが書いたのは、ひのきしんじさんが「レコードとして売れない」とOKしない。そんなこんなで2人共大変だったんです。

――超大作の映画の主題歌ということで、監督さんや、スタッフの方々は相当こだわりをもったんでしょうね?

 それでようやく3回目に、このアレンジがOKになったんです。それは、それは色々と考えたんですよ。それまでの経緯からすると、歌の前に普通のイントロを付けたらきっと採用されないだろうと。

――それでこのアイディアが出た?

 そうなんです。映画監督も音楽監督の直純さんも、これなら良いだろうと、ようやくOKが出ましてね。その時は本当に嬉しかった(笑)。

――結果、たかしまさんのは不採用だったわけですね?

 そう、それで、その時、なんとも申し訳ないなーと思いました。ただ、今は一緒に(交代で)、NHKの「BS日本のうた」で仲良くお仕事を一緒させてもらってます(笑)。

――「契り」を作曲した五木さんからは、どんな風に京さんのところに曲の資料が届くんですか?なにか譜面で?

 いいえ、当時ですからカセットですが、カセットに録音されたものをいただくんです。ご自身のギター伴奏でお歌いになった、いわゆるデモ・テープですね。

――ご自身のギター伴奏で、ですか?

 そうです。五木さんはクラブ歌手の時代に、ギター伴奏でお歌いになる機会も多かったので、お上手です。いただいたカセットを聞いて、「これだけで良いんじゃないの。何もアレンジしなくても」、と瞬間思いました(笑)。

――デモテープから編曲という作業が始まるんですね?

 作曲家の弦哲也さん、浜圭介さんなども、デモ・テープを聞くと本当にお上手で、同じようなこと(このままで良いんじゃないの)を思うときがよくあります。

――冒頭の五木さんの歌が終わった後、弦がザーン・ザ・ザーンと2回繰り返しがあって、本体の歌に入りますが、この弦がなんとも美しく、この後の五木さんの歌を引き立ててくれているように思いますが?

 ヴァイオリンとビオラがメインですが、チェロも控えめに弾いていただいてます。

――それと間奏をオーケストラで、「契り」のテーマを演奏しますが、2番の歌に入る前のピアノが凄いですね?

 そう、それはハネケンこと羽田健太郎さです。残念なことに若くしてお亡くなりになりました(58歳=2007年)が、この時は30歳前半の、それは新進気鋭の頃でした。クラシック出身でありながらポップスもできるし、ジャズのアドリブもできるということで、彼もスタジオでは引っ張りだこでした。

――間奏同様、エンディングでも「契り」のテーマをお使いになったんですね?

 ええ、この手法は私は結構好きでやるんですが、ただ同じ編曲を繰り返すということはしません。楽器編成からなにから、それぞれ全く違うように書くんです。

――間奏後の2コーラスにはいってからエンディングに向かって、どんどん盛り上がっていくところが本当に素晴しいと思います。ハネケンさんのピアノも、なにか、もうピアノ・コンチェルトみたいで、劇的に曲が終わってほっとする、そういう持っていき方に編曲の技が潜んでいるんでしょうね?

 百戦錬磨というか、編曲者としては、どんなシチュエーションにも対応できる懐の深い、引き出しをいっぱいもっているのが理想で、今も挑戦しつづけているんですよ(笑)。

――懐が深いといえば、京さんが多方面で活躍されていることのひとつに〈舞台音楽〉がありますが、当時の浅草国際劇場や大阪新歌舞伎座など五木さんの舞台の編曲に纏(まつ)わるお話をお伺いしたかったんですが、時間がちょっと?

 また、時間を作ってやりましょう。舞台音楽は、レコードのための音楽とは別ものですから。全く違った世界があるんですよ。

――京さんは、五木さん以外にも森進一さんをはじめ、川中美幸さん、伍大夏子さん、香西かおりさん、中村美津子さん、吉幾三さんなどのビッグ・アーティストの舞台音楽を数多く編曲をされていますので、舞台音楽に絞ったお話を聞く機会をあらためて作りたいと思います。

 そうですね。そういたしましょう、楽しみにしています。

――今日は長い間、有難うございました。

 こちらこそ、有難うございました。

*次回は、竜鉄也さんの「奥飛騨慕情」を中心としたお話を伺う予定です。

第4回インタビュー

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