第2回インタビュー 千昌夫「北国の春」

――本日は、京建輔さんが編曲した沢山の作品の中から「北国の春」についてお聞きします。
「北国の春」は1977年4月5日の発売(KA1050)(徳間音楽工業)ですが、当時のオーケストラの録音はセーノ(同時録音)だったのでしょうか?

 そうです。ドンカマ(リズムボックス)がまだ普及していなかったこともありますが、今のように24とか48チャンネルのマルチトラック方式の録音はありませんでした。まあ16チャンネルの録音はありましたが、それも限られたスタジオにしかありませでした。
2チャンネルの同時録音がまだ主流だったんです。そのほうがマルチ録音より収録の時間は早く、経済的だったんです。でも、今考えますと、温かみのある音に仕上がって、2チャン・同録(2チャンネル・同時録音)が結果的に良かったのではと思っています。

――ドンカマなしでの演奏の良い点はどんなところにありますか?

 アレンジャーは常に歌を引き立たせるためのオケ(伴奏)を考えて編曲するものです。そのなかでも、歌のつなぎの箇所(フィルイン)、特にサビに向かうところは一番大切な部分です。ドンカマで演奏すると、1章節単位できっちり演奏することになり、杓子行儀で味気ないものになってしまうんです。
ところがドンカマなしの同時演奏ですと、演奏家(スタジオ・ミュージッシャン)は、ここは歌のつなぎだなと自然と感じとって、微妙な揺れ方をした演奏をしてくれます。これが大切で、歌のつながりの良い理想的なフィルインができるんです。
今はドンカマがないと演奏しにくいというプレイヤーも多くそのほかの都合もあって、レコード録音やTV収録時には使わざるを得ませんが、私は今でもドンカマ無しのほうが良い演奏につながると思っているんです。

――昔のスタジオ・ミュージシャンは今とは違った意味で、つわもの揃いだったたという話を聞きますが、この時の録音はいかがでしたか?

 スタジオ・ミュージシャンに演歌専門の演奏家はいません。いろんなジャンルの音楽が即座にできないといけないんです。
純邦楽分野は別として、洋楽出身の人がほとんどです。弦はクラシック畑ですし。
「北国の春」の時は、ジャズ出身の方が多かったと思います。ドラムの田中清さん。ベースの岡崎章さん。アコーディオンの風間文彦さん。ヴィブラフォンの金山功さん。マンドリンの宇都宮積善さん。みなさん、そうそうたるメンバーです。この曲のメインの楽器はアコーディオン(ミュゼット・アコ)、マンドリン、ヴィブラフォンにギターですから、こういった方々の演奏、技量が大きな意味を持つわけです。
たとえば、ギターの吉川忠英さんは、フォーク・ギターでは、こちらで指定した音符に、さらに細かいフレーズをつけてくださった。
フォーク・ギターの神様みたいな人が、一生懸命にそんな風に、カッコ良くしてくれるんですから感謝・感謝ですよ。
おかげで、今までの演歌にはない新鮮な音に仕上がりました。演奏家としての独自のアイディア、良い音を作るための提案が録音現場ででてきたんです。

――通常、そういうことって多いんですか?

 いつもそいうわけにはいきません。この商売を長くやってますが、そう度々あることではありません。その時は皆さんが本当に協力的で、有難たかったです。

――新しい音の創造はそういうところから生まれるような気がしますが?

 そうかもしれません。これもスタジオワークの魅力のひとつかもしれませんね。

――レコード・メーカーのディレクターは新譜のレコーディングに際して、編曲家の選定というたいせつな仕事がありますが、京建輔さんを「北国の春」に起用したいきさつや、それに関連したお話などいただけますか

 徳間(徳間音楽工業)のディレクターは和田弘さんという方です。「北国の春」を作詞した(いではく)さんの早稲田大学の先輩にあたる方で、作曲家の遠藤実さんの新譜の時に私を推薦しようと日頃思っていたようです。それには伏線がありまして、前年に発売になった「すきま風」の編曲の打ち合わせを、某編曲家がドタキャンしたんです。大変素晴しい作品を沢山作っておられる方なんですが、よく録音に遅れてきたりする。
それで急遽私を起用してなんとか納まったということがあったんです。

――「すきま風」というと、杉良太郎さんの代表曲ですよね。たしか1976年の発売で、オリコンの100位以内に147週(1979年まで)もチャートインした。ロングランを記録して、50万枚以上売れたと思いますが。それじゃー、納まったというより大成功したわけですね。

 まあ、そうなんですが、それで今回はハナから使っていただいたというわけです。新しい感覚のアレンジャーということで私を推薦してくださった。

――その和田さんという方は、どんなディレクターさんですか?

 和田さんは音楽的知識が豊富な方、というよりも、音楽的センスの洗練された方で、感覚の鋭いところが素晴しかったと思います。千昌夫さんや、西崎みどりさんなどを担当された優秀なディレクターさんでした。

――編曲のための特別な打ち合わせというのはあったんですか?

 そう、それで思い出しましたが「北国の春」は実は最初B面候補で、A面は「東京のどこかで」という曲でした。
両面共、作詞:いではく、作曲:遠藤実ではありましたが。ですから当然A面のほうの打ち合わせは長かった。
ああでもない、こうでもない、出来る限りのアイディアを出すための打ち合わせをするんです。和田ディレクターはそういう点では特に一生懸命で、私の家に2日ほど泊り込んで、企画を煮詰めていくタイプの人でした。勿論夜遅くになると、一杯やりながらでしたが。
ですからB面候補の「北国の春」については、和田ディレクターとも短い打ち合わせでしたし、遠藤先生も、アコーディオンとギターが入っていれば良いんじゃないか、といった程度の話しかしなかったと思います。

――B面候補の曲がA面になるということがあるんですね。

 あるんです。「北国の春」もB面候補の時には別の題がついていました。たしか「ふるさとの春」というタイトルだったと思います。
目黒のモウリスタジオで録音が始まりA面の後にB面の録音が済んだら、遠藤先生が興奮してレコード会社の人やスタッフと揉めているんです。
たまーに、なにかの事情で録音したものがボツになることがあるんですよ。今回もそういった特殊ケースかと思って心配していると、そうではなくて「北国の春」のほうをA面にしたいということだったんです。胸をホットなでおろしましたよ。
レコード会社の新譜の編成会議でもこちらをA面にしたいという意見が多かったそうです。

――発売後B面のほうが評判が良くて、A面に切り替えるということは昔はよくあったそうですね?

 そうらしいですね。ただ、そんなこんなで「北国の春」は最初からA面だったんです。

――歌の録音はどんな風だったんですか?

 もちろん何日か後の録音でしたが、スタジオで揉めたとき、遠藤先生が千昌夫さんに、その場で歌ってみろと指示をされたんです。
当然A面の練習はたくさんしておられたでしょうが、B面の曲ははそんなには練習してないはずです。歌の録音日ではなかったこともあり、「風邪気味ですので今日は」、と断っておられました。通常は、オケ録りしたオケを、当時ですからカセットかなにかにコピーして、自宅でそれを聞きながら練習して、そして本番に臨んだので、歌の録音は何の問題もなく、思い通りすんなりといったと思います。
どだいオケ録りも2回めのテークでOKだったんですから。色々こねくり回して作ったものでも意外と駄目なことがあるんです。

――イントロ(前奏)の出だしの(ソラ)ソソソソソソソ、(ソラ)ソソソソというリズムとメロディがとても印象的ですね。この点について是非お聞きしたいのですが。

 私は京都から東京に出てきて、世田谷の若林に住んでた頃、そばを世田谷線のチンチン電車が走っていました。電車が来ると踏み切りの警報機がコンカン・コンカン・コンカンと鳴る。それが京都の京福電鉄の、嵐山線と分かれて走る北野白梅町あたりの警報機の音と良く似ていて、それを聞くと京都を思い出すんです。小田急なんかのとは違うんですよ。
イントロのメロディーは、遠藤先生が自ら歌ってくださって、それを急いで五線譜に書き取り、それを元に編曲したんですが、そのメロディーの前に、もう一章節、なにか欲しくて、とっさにこの踏み切りの警報機を思いついたんです。

――この楽器はエレピ(エレクトリック・ピアノ)ですか?なにか暖かい感じと、これからなにかはじまるぞという期待感が沸いてきますが。

 生ピアノとヴィブラフォンです。私はMJQが好きで、あれはミルト・ジャクソンのヴィブラフォンの音色からヒントを得ています。
それとフランク・プールセルが街中の擬音を、曲中で効果的に使ったのがあって、いつかチャンスがあったら演歌のアレンジの際に使ってみようと思っていたんです。
杉良太郎の「すきま風」のイントロのアルト・フルートのあの《おどろおどろ》した、不思議な音色も、ミシェル・ルグランからヒントを得ています。
かくし味として、マリンバを使って、一緒のフレーズを演奏させたんですが、マリンバの音が重なるとアルトフルートの奏者の絶妙なタンギングに聞こえるんです。

――そうなんですか。どちらもフランスのアーティストを参考にされたんですね。この音色は尺八でもないし、何の音かなーと、ずっと思っていました。
今のお話の、かくし味のマリンバなど想像もできませんでした。もしよければ「すきま風」のお話もしていただけますか?

 まあ余談になってしまいますが、「すきま風」の録音の時、この曲がTV番組(遠山の金さん 1976年~)のエンディングのテーマ・ソングになるとは知らずに編曲したものですから、当日、テレビ朝日や関係者の方が大勢こられて、不思議に思っていたんです。でも途中で事情を知ってびっくり。
これはまずい、知っていたら別のことを考えたのに、失敗したなーとくやんだんですが、結果はかえって良かった。
スタッフの狙いはいつもと違った演歌っぽくない、テーマソング。それをめざしていたということを後で知りました(笑)。

――外国の曲からヒントやアイディアが出ることは良くあるんですか?

 結構ありますね。編曲者は発想が大切で、上手くいくと、効果的に曲を引き立たせることができます。もちろん逆の場合もあるんですが。
遠藤先生は、このイントロをとても気に入ってくださって、そのためかどうかわかりませんが、その後の別の打ち合わせの際にアイディアが詰まったときなどよく、冗談半分に「北国の春と同んなじ感じのイントロで良い」などとおっしゃていました。

――「北国の春」の詞がとてもストレートでわかりやすいと思いますが?

 作詞家の〈いではくさん〉は、長野県の八ヶ岳の海尻の出身の方ですので、日本の田舎の原風景を体で知っていらっしゃる。
「~白樺 青空 南風~」の3つの単語を、ポーンと放り投げると、日本人にはその風景が自然と頭に浮かぶ。そういうことを知っていらして、作詞したんじゃないかと思うんです。私のイントロのあの踏み切りの警報機の音も、日本の多くの人の耳のどこかに残っていて、聞く人に自然と故郷のことを思い出させる、そんな連鎖的な反応を狙った私のアイディアが生きたんではないか思うと、とても嬉しいです。
まー、オーバーかもしれませんが編曲家冥利につきるなーと正直思います。

――京建輔さんのアレンジは、大変シンプルで聞き易いということを良く聞きますが、その点ご自身ではどのように思っていらっしゃいますか?

 そうですかー、シンプルの意味からすると逆で、私としては、とても複雑なアレンジをしているつもりなんですが。
演歌の場合、特に遠藤先生のときは、「ジャズのコードは絶対使ってははいかん」、と言われてましたし、録音の際、実際ジャズ風の音が出たりすると、遠藤先生は大層お怒りになって、それは大変でした。そんなことがあったものですから、極力ジャズのコードは使わずに、それでいて新しい新鮮な音を創り出す、この点でとても苦労したと思っています。先ほどA面、B面の話が出ましたが、私はA面だろうが、B面であろうが、同じスタンスでアレンジしています。同業の先輩が、私のアレンジしたB面を聞いて、「京ちゃん、B面は手を抜かないと大変だよー」などという助言を電話でいただいたりしたことがありますが、私はそれぞれの曲は、人間の子供が違って生まれてくるように、それぞれの特徴を生かすのが、アレンジャーの仕事だと思っています。ですから私の場合は手抜はしないというより、できないんです。性格なんでしょうか。

――そうですか。すると複雑に書かれていても、聞く人にとってシンプルに聞こえるということなんですか?

 これは難しい話で、専門的になってしまいますので、簡単にいいますと、各声部を単体で取り出して聞いても、フレーズが綺麗に聞こえるようにすることがとても大切なんです。これは、先輩の宮川泰さんや、前田憲男さんからも良く言われたことで、今もそれを守っています。
綺麗なものが複雑に絡み合ってはじめて、美しく聞こえてくるんです。

――それをシンプルに聞こえると聞き手は思うんですか?

 実際「北国の春」でも半音進行の技法など使って、美しく聞こえるように考えに考え抜いているんです。
劇伴(劇のための伴奏音楽)とは違って、歌を主体にアレンジを考えるのが基本です。歌が映えるようにすること、そのために複雑な仕組みを考えることも必要なんです。結果的にはシンプルに聞こえるかもしれませんが。
歌のことでいうと、ギターの木村好夫さんは演歌の録音で演奏するとき、3番までの歌詞を全部憶えていらっしゃいました。

――木村好夫さんというと、五木ひろしさんの「おまえとふたり」や「倖せさがして」の作曲者でもいらした方ですね?

 ギタリスト以外でも音楽の才能の優れた方でした。ちょっと早く天国に逝かれてしまい、とても残念なんですが、木村さんは1番、2番、3番の歌詞のそれぞれの意味をもっと大切にしなければいけない。だから、ギターも歌詞にあわせたオブリガートを弾くべきだし、まして編曲は。という方でした。

――1番と2番と3番のアレンジは変えるべきだということなんですね?

 変わってしかるべきだということです。このことについては、宮川泰さんとも冗談ぽく話をしたことがあるんです。
1~3番まで同じアレンジなのによく作詞家は怒らないよなー、なんて話をよくしたもんです。
ですから今担当している、NHKBSの「日本のうた」では、1~3番のアレンジを意識的に変えて編曲することもあります。勿論歌い手さんにもよるんですが。1番と2番のアレンジが変わると、歌いにくいという歌手もいらっしゃるので、ほどほどにすることはありますが。

――「北国の春」は累計売り上げ枚数が150万枚とも、300万枚とも、いわれています。この数字についてどう思われますか?

 演歌は、いわゆる若者向きのポップと比べて、広がり、認知度という点では比較にならないほど高いと思います。
演歌の150万枚は、ほぼ10倍の1,500万人の人が曲なり、歌手なりを知っていることになりますが、ポップの場合150万枚だと、ほとんど150万の人しか知らない。つまり150万人の人がレコードなりCDなりを買っただけの数字であると。この差は大きいと思います。

――NHK紅白歌合戦のときに、年配の多くの視聴者が登場するポップ系の歌手について知らないという反応を考えると、解るような気がします。
「北国の春」はオリコン(オリジナル・コンフィデンス)の実績を調べますと、最初の年は8万枚ほどしか売れませんでしたが、翌年には25万枚、翌々年の1979年には85万枚、それぞれ売れています。この爆発的な売れ行きを目の当たりにして、どんな風に思われましたか?

 私はそれは、勿論嬉しく思いました。次の仕事に影響するというか、新しいお仕事をいただくことにつながりますから。
ただ、私が精魂こめて編曲したものが世に出た後、そんなに売れ行きにこだわりません。

――それは、なんでしょうか、自分の娘を嫁に出したような感覚なんですか?

 そうですね、後はひとりで歩んでいけば良い、そんな気持ちでいつもおります。

――2011年3月の未曾有の東日本大震災の後の4月初旬、京建輔さんが指揮されていたNHKBSの「日本のうた」では、被災者への励ましの意味で北島三郎さんほか、多くの歌手の方が応援歌を歌いました。
千昌夫さんも「北国の春」を、また、出演者全員では唱歌「故郷」を歌っておられました。

 そうですね、あの収録の時はまだ余震がひどくて。収録自体が大変でした、いつ余震が来るかわからない状態だったものですから、一般のお客さまは入れずに、東京・砧のスタジオでの収録でした。ホールですと、天井からなにが落ちてもおかしくない状況でしたので。

――元気になるために「故郷」をテーマにした歌をとりあげたのでしょうが、あらためて「北国の春」が番組のなかで、大きな存在感を示した点について、なにか思うことはございましたか?

 そうですね。先ほどお話しましたことと同じですが、一度編曲した曲については、とりたてて思いを深くするということはありません。
私は、どの曲も違った編曲にすることをめざして仕事をしていますので、この曲だけはといった強い思いはあまり持たないのかもしれません。
でも勿論、大変嬉しく光栄に思ってはいるんですよ。

――遠藤実さんとも親交の深かった長田曉二さんの「面白!!意外な歌謡史」(ドレミ楽譜出版)で、〈世界最大のヒット曲、15億人の愛唱歌〉という副題を付けて「北国の春」のことを、ビートルズの「イエスタデイ」を凌ぐ、世界一多くの人に歌われた曲といって紹介しておられますが。

 どこの国でも日本語詞の訳はだいたい同じだそうですね。北京に「北国の春」のスタッフとして、一度招待されたことがあったのですが、その時に、通訳の方からお聞きしました。「北国之春」という漢字だったと思います。

――調べましたら、広東語の「故郷的雨」、テレサ・テンの歌った「我和你」、台湾語の「榕樹下」など色々あるんですね?
アジアの大勢の人が科学文明の急速に発達した都会に出て来て、いつも思うのは母のことであり、故郷のことであるというシチュエーションが、日本と同じだった。それで15億人の人の心に響いたのでしょうか?

 ええ、そうかもしれません。聞いた話では、タイ語やベトナム語、モンゴル語、チベット語などもあるそうで、私もびっくりする位沢山の言葉で歌われているようですね。
でもイントロをはじめ、アレンジがほとんどが私のコピーですので、著作権のことを考えますと、複雑な気持ちもしないではありませんが。
まあ、多くの人が口ずさむ曲の元のアレンジは私がしたんだ、ということを、むしろ喜んでほうが良いのかもしれませんね(笑)。

――今日はお忙しいなか、楽しいお話を沢山いただきまして有難うございました。
次回は、五木ひろしさんが歌われた曲の中から、京建輔さんが編曲された作品を中心に、また色々お聞きしたいと思います。

第3回インタビュー

第2回インタビュー 千昌夫「北国の春」 への1件のフィードバック

  1. 大石良雄 のコメント:

    拝啓 今日健輔氏のサイトには日々勉強させて頂き感謝いたします。
    このコメントを拝見しますと非常に興味深いのは「あの当時、1970年代後半においても、ノンマルチ=2ch一発録り」が行われていたと言う驚きの事実。確かに当時のレコード会社は「完全に自社所有のスタジオを完備していた所=ソニー、ビクター、パイオニア、ポリドール、コロムビア、キング」等、また外部スタジオを使っていた「徳間、東宝、東京」等がありましたね。自分の様に練習ピアノ弾きからPAエンジニア、レコーディングエンジニアの端くれまでを経験した者から言えば「メーカーとスタジオは一心同体でありどちらが欠けても駄目」と。徳間は今日でも外部委託ですからね。只とても驚いたのは「モウリスタジオでのレコーディングで2ch一発録り」と。此処は民間でも最も古くから存在した由緒あるスタジオで、早くからマルチ始め最先端ハードを要する有名どころ。此処が驚きましたね。知る限り最も早くマルチを入れた「キングは当初3ch3t  ビクターは独自のカスタム6ch6t 他社は4ch4t スタート」でした。その後1970年には急激に8ch8tが導入され、約1年後には何処のスタジオにも最低16ch16tが入って」いたはずです。しかもドンカマティックガイドリズム無しでの一発録りとは、、、物凄いなァと。これは指揮者がきちんとしていれば問題は無いはずで、当時のレコーディングでは指揮者は必ず時計を持って指揮していましたね。自分の記憶にもはっきり残っておりましたから。
    更に「和楽器を西洋譜面で書く事が無かった」というのも驚きです。尺八は知る限り「ろつれちはろ」の譜でしたが、当然バンドやオケとのリンクは西洋譜面と思っておりましたので。大変でしたでしょうね。やはり自分の貧しい体験や、他人の話の聞きかじり、机上や書籍での空論等とは違うのだと痛感いたしました。
    また「京建輔氏のアレンジはシンプルに聴こえる」と言う事についての見解には激しく同意いたします。これはクラシック音楽のスコアの分析解析等をしていれば解るはずなのですが、「美しく響く名曲こそ、実は譜面上は大変綺麗に美しく書かれている」と。これは「一見一聴シンプルに聴こえる曲こそ、実は複雑怪奇な要素をもちつつも、そうは聴こえない見えない様な感じがする」と。最近やっと此処が解ってきた様に思えます。例えば?「モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト」等でしょうか。これが後半「ベルリオーズ、ベルディ、ワーグナー」の様に、聴いていても複雑怪奇だし譜面上は更にとんでもなく複雑怪奇と言う音楽が出てきて、ストラヴィンスキーあたりでクライマックスを迎えますが、、、、(おそらくそう聴こえるのはやはり、和声=ハーモニーの相違と思われます) やはり複雑なサウンドをいかにも複雑に聴かせるのは当然ですが、「複雑なサウンドをいかにもシンプルに聴かせる」ってぇのは、実は大変難しいのだと言う事を改めて教えて頂きました。
    今後ともこのサイト様には勉強させて下さい。  敬具

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